またまた伊勢神宮へ

三度目の伊勢神宮参拝へ行ってきた。

一度目は2006年2月。どうしても皇室の安寧と男系男子継承維持を祈りたくて行ってきた。
二度目は翌年2月。お礼参り。
そして今回3年ぶりに参拝。
日本や皇室が異物に侵食されている、そうひしひしと感じることが多々あり
祈りはどこに居てもできるけれど、どうしても行きたかった。
去年位から「行きたい、行きたい」と思っていたが、なかなか時間がとれず
4月から有休をとりやすくなったので、チャンスと思い、混雑していない平日に行ってきた。

計画し、宿泊先等、インターネットでいろいろ調べていたら…
伊勢神宮までも侵食されている!?
一見よさげなことを並べている某ブログを発見・・あれは教祖?
↑これについてはいつか書くかもしれないけど、よくよく読むと、おかしい。


今回、鳥羽のほうまで足を伸ばそうかと思っていたが、結局、お伊勢参りだけ。
1日目 外宮→内宮→月讀宮
2日目 外宮→内宮
神社参りはできるだけ朝行きたい。
こっちから行くと、どうしても1日目は午後にしか参拝できない。
で、結局2日目も行ってしまうのである。
1日目は上で書いた某ブログ信者らしき人や(サイト上で推奨されている台詞を吐いている)
いつだったかここで書いた某新興宗教信者らしき人(祈り方の特徴でそうと分かる)
パワースポットを連呼している人
中国人(内宮は皇室の親神様だと知っていて来ているのだろうか?単なる観光?)等々 
げっ!と思うこと多々あり。
2日目は朝早いというのに、小学校の遠足とかち合ってしまったが、
小雨でいい感じに空気が清められているような気がして
清清しい参拝をすることができた。
(でも、どうしても鳥居はくぐれないと外側から行く生徒がいた・・あれは親の宗教なのだろう)


宇治橋は新しくなっていた。まだ木の香りがしていた。
宇治橋を渡っていると、なぜか「帰ってきた~」という思いがこみ上げてくる。
右手の山は、神路山と島路山。
どっちがどっちだかわからないが、奥のほうの山は特に心の奥底で懐かしいと感じる。

伊勢神宮の神域内にいるだけで心地よくて、何度でも行きたくなる。
平成25年の遷宮前にもう一度行けるか、それとも遷宮後になるか…また行きたい。
掃除する人になってあの神域内にずっと居たい位。

たったの1泊2日だったのに、1週間位行ってきたような気がして
心の中でそう思うだけでなく、うっかり
私「24日の○○の件はどうでしたか?」
相手「?…まだだよ」
完全にぼけている。
帰ってきて、一晩寝て、一日過ごしたら、ようやく頭の中も現実界に戻ってきた。
(でもそろそろボケ防止ドリルを始めたほうがいいかも?)


現実生活としての思考、生活、仕事はもちろん大切だけど、
あの清清しい「気」を枯らすことなく、いつも持ち続けていたいものである。

伊勢神宮は日本人の魂のふるさとと言われている。
個人の現世利益を求めたり、パワースポットと称して「開運」を期待するのは違う。
でも簡単にパワースポットという言葉でくくることのできない何かは確かにある。
魂のエネルギーを満たす、という意味ではパワースポットだが
皇室のご祖神(内宮)である、ということはいつも念頭においておきたい。

わたしにとってのお伊勢参りは、日本と皇室の安寧の祈りを捧げるのが主目的だが、
現実逃避や魂のエネルギー補充、魂の里帰りの目的もあるのが正直な気持ち。

昔の人は遠い道のりを歩いて参拝に行った。一生に一度のありがたいお参りだった。
それを何度も行くことができるとはありがたい。
「お参り」できること、ただそれだけがうれしい。
お参りできるほど平和に生活できているという恵みを感謝したい。
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