日記(1/29)

帰りにスーパーでぽんかんを買った。
レジの後、袋につめていたら奥の方の2個が腐っていることに気が付いた。

げっ!! ちゃんと選んでかごに入れたつもりだったのに・・
かなり酷い腐れぶりだった。
(ほんとに私は選び方が悪い)
店の人にお願いして交換してもらった。
店にいる間に気が付いてよかった。
帰宅してから気が付いたら、もう面倒で交換しにいく気は失せただろうし
また失敗・・とへこんでいただろう。

危うく外れを引きそうだったのに今回は免れた。
良かった。


もう、さんざん出がらし感のある話題ではあるが
「ハイチに千羽鶴を贈ろう」運動について。

加熱している論争もどうかとは思うが
やはり賛同はできない。
誰でも読める情報や産経の記事を読んだ限りでは
善意のアピール、もっと言えば「理解してください」という押し付け
さらに言えば自己満足にしか見えない。
(発信の大元の現在の考えは知らないので)

大使館からやんわりと断られているのに
そして以前にアフリカでは喜ばれなかった
(現地の人が千羽の鶴を一つ一つすべて解いて中には何も入ってなかったのでがっかりした)
…という前例もあるのに
それでも「通じるはず」という思い込み。
せっかくの善意なのにもったいない。
「気持ち」を伝えたいのであれば、幾ばくかの募金に手紙でメッセージを添えればよいと思うし
先方が切実に必要としているものを贈るのが一番喜ばれる。
落ち着いてから贈るとはいうものの、届ける人、説明する人 沢山の人の手をわずらわせることになる。
そしてハイチの人に「わかってください、私たちの善意」と押し付けるの?
相手の身になって考えるということに改めて立ち返ってほしい。
混乱時にはストレートに通じる善意のほうが絶対に良い。

変な例えかもしれないけど、小学生の学級会みたいなノリで気持ちが悪い。
ちょっと方向がずれている気がする。

そして批判する側もずれつつある。
先方が一番必要としていることは?や具体的な方法について論じるのはいいが、
主催者や賛同者の今回のこととは関係のないことまで晒し、つつく必要はない。
あまりにも非難が酷すぎて、主催者はいつ贈るとか、どういう方法をとるとか、考え直すとかという
肝心のことを公にしなくなってしまったのでは?
主催者の考えていること、これから起こそうとしている行動は
考え直してもらうという意味でも見えていたほうがいいのに。
叩かれたからこそ、変に意地になって「何が悪い!自分たちこそが正しい」と開き直っている感もある。

どこかの怪しげな団体が主催者側につき、結局ごり押しでひそかに千羽鶴を無理矢理贈り
またどこかのTV局までついていって、ハイチの人が喜んで受け取るという演技をさせられる
などということがなければいいけど。
先方に迷惑にならないか、がっかりさせないか(アフリカのように)ということが一番心配。

私は微々たる募金しかしていないし、このように何がしかの行動を起こすことはできないので、
偉そうなことは言えないけど、ちょっと書いてみた。
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おおやしまねこ