産経west より

2016.6.18 09:02更新
近藤勇の第一声は「御上意!」 これが〝誠〟の池田屋事件
 「手向かいすれば容赦なく斬る」ではなかった? 会津松平家資料に記録

 幕末の京都で、長州や土佐などの過激派志士が襲撃された「池田屋事件」の際、
2階に踏み込んだ新選組局長の近藤勇が発した第一声は、
将軍や主君の意思であることを示す「御上意」だった可能性があることが18日、
宮内庁宮内公文書館に保管されている会津松平家の資料で分かった。
 ドラマなどでは「手向かいすれば容赦なく斬る」と警告する場面が多いが、
今回の資料にこの言葉はなかった。これまで知られていなかった新たな言葉の登場は、歴史ファンの関心を呼びそうだ。
 資料は「維新階梯雑誌」で、会津藩主松平容保が京都守護職になった1862年以降の出来事を明治時代に編纂。
一部が引用されるなどして存在は知られていたが、31冊が同館にそろっているのを
埼玉県の歴史研究家、伊藤哲也さん(47)が確認した。
 1864年の池田屋の場面では、近藤が亭主とやりとりした後、2階に上がると、6、7人が車座になっていたと記述。
「座中を割って奥へ赴けば、一同(刀を)抜いて斬り掛かってきた」「此の方御上意と大音声で(叫んで)踏み込んだ」と続く。
後に近藤が「(相手は)御上意に恐れをなした様子。いまだ徳川のご威光は尽きず」と述懐したとも書かれている。

 これまでは、1階にいた幹部隊士で、大正まで生きた永倉新八の回顧録から、
近藤はまず「手向かい致すにおいては容赦なく斬り捨てる」と警告したとされてきた。
 新選組はこのころまだ目立った功績がなく、近藤は攘夷を実行しない幕府に失望し、
解散の意向を伝えるなど進退に悩んでいた。しかし、事件後ほどなくして西洋の軍事力の強さを知り、
佐幕の傾向を強めていったとされる。
 新選組研究の第一人者として知られる菊地明さんは「上意という言葉は初めて知った。
『手向かい致せば』も言っていたとしても矛盾はしないと思う。予想外に相手がひるんだので将軍の威光を見直し、
あくまで徳川が力を持つことで攘夷を目指す思想につながったのかもしれない。膨大な資料は大きな価値がある」としている。


池田屋事件 
1864年6月5日夜、京都三条の旅館「池田屋」に集まっていた長州や土佐、肥後などの
過激派志士20人ほどが新選組に襲撃され、10人以上が死亡、捕縛された事件。
新選組は会津藩などの援軍がないまま単独での突入を決意。
近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4人で踏み込み、その後土方歳三らの別隊が駆け付けた。
主に幕府側の資料によると、志士たちは京に火を放って天皇を長州に連れ去ることを企てていたとされる。
新選組は少人数で暴挙を阻止したとして一躍名を上げ、後に全員が幕臣に取り立てられるまでに至った。

http://www.sankei.com/west/news/160618/wst1606180029-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/160618/wst1606180029-n2.html
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