お盆

以前に「逝きし世の面影」という本について書いたことがあるけれど
それを先日読み返してみて、お盆についての記述があり、
大いに共感するところがあったので

==============

逝きし世の面影 渡辺京二 平凡社ライブラリー
P547-549
第十三章 信仰と祭


杉本鉞子が回想する長岡藩元家老稲垣家の盆行事を見ると、武士の「無神論」なるものが
事実の一面しか伝えていないことがよく理解される。
彼女の回想は、古き日本人にとって盆がいかに厳粛かつ生命にみちた行事であったか
実感するための最高の手引きといってよかろう。それは彼女の数え年七、八歳頃、
つまり明治十二、三年の経験であった。
数日前から準備が始まる。庭木、生垣を刈り整え、庭石を洗い床下まで掃ききよめる。
畳もあげて掃除し、天井板、桟、柱、欄間など、すべてお湯で雑巾がかけられる。
「家中は屋根の上から床下まできよめられる」のである。
仏壇は行事の中心である。当日、爺やは夜があけぬうち蓮池へ降りてゆく。
これは朝日のさし初める光とともに花が開くからである。
仏壇には茄子や胡瓜で作った牛馬が供えられ、蓮の葉に野菜が盛られる。
女中が「盆燈籠を高々と掲げ」る。火を灯すと、中の切り紙が小鳥の群れが羽ばたくように
揺れ動く。「どこの子供も同じことで、私もご先祖さまをお迎えするのは何となく
心うれしく感じておりましたが、父の亡くなりました後は、身にしみて感慨もふかく、
家族一同仏前に集いますと、心もときめくのを覚えるのでありました」。
お精霊さまは死の国から白馬に跨って来るといい伝えられていた。
黄昏には一家揃って大門のところで、二列に分かれて精霊を待つ。
召使にいたるまで全員新調の着物を着てこうべを垂れる。
「街中が暗く静まりかえり、門毎に焚く迎え火ばかり、小さくあかあかと燃えておりました。
低く頭をたれていますと、まちわびていた父の魂が身に迫るのを覚え、
遥か彼方から、蹄の音がきこえて、白馬が近づいてくるのが判るようでございました」。
迎え火が消えると仏前へ戻り、「なつかしい客を迎えた喜び」に包まれながらぬかずく。
「それからつづく二日は町中がお燈籠で満ち満ちていました。……家の中は心愉しい空気に
満たされ、わがままな業をする者もなく、笑いさえ嬉しげでした。それも、皆が
新調の着物を着、お互いに作法正しく、お精進料理を頂いて楽しみあうことを
ご先祖さまも喜んでいて下さると思うからでごさいます」。
精霊が家を去る日は「いいがたい別れの悲しさが胸に迫」った。
精霊舟を作って、夜の明けぬうち川べりへ行く。「鳥の鳴く声のほか、辺りの静けさを
破るものはありませんでした。すると、突如として朝日の光が山の端から射し出ました。
待ちかまえていた人々の手は一斉に蓆舟をはなちました。……朝日はいよいよ光をまし、
山の端をのぼりきる頃、川辺に頭をたれた人々の口からは静かに深い呟きが
おこるのでございます。『さようなら、お精霊さま、また来年も御出なさいませ。
おまち申しております』。……母も私も、浄福とでも名附けたい、穏やかさを
胸に湛えて川辺を立去りました」。
これは宗教の原始的段階を示すとされる先祖崇拝の一例にすぎぬのだろうか。
なるほど先祖は崇敬されているに違いないが、ここに提示されているのは
むしろ魂の永生への確信であろう。なによりも痛切に覚知されているのは、
現世を超えつつしかもそれと浸透しあう霊の世界の存在である。それと年一度の接触は、
宗教の枢軸ともいうべき救済をもたらす。鉞子は書いている。
「お盆を迎えて以来、にこやかに見えた母の面には、父を見送った後も、
以前のような憂わしげな色は戻って参りませんでした。それをみるにつけましても、
父は、私共のところへ参って慰め、また舟出された今も、私共に平和をのこして
くださったのだと、しみじみ感じさせられたことでした」。
しかしこのような魂の救済は、前に見たような、厳格に儀礼化された行事の
手続きを踏んでこそもたらされたのだった。


==============

ここまできちんとしてはいないが
掃除をして、盆棚を作って、回る燈籠をだして、迎え火を焚いて…
という故人を迎える準備と、帰ってきてくれるということそのものが
父が亡くなってからは、お盆は厳粛さのなかにも喜びとなった。

母は「もうそろそろ簡略化してもいいんじゃない?」などと言っている。
こういうしきたりとか風習とかにうるさかったのは父で、昔はそれがとても面倒に感じたのも事実。
お盆期間中、何日は何を食べる、お土産餅(故人が向こうに背負って帰る)を用意するとか
終戦の日ははっと(すいとん)だとか、16日はお精進だとか…
当時、うちには仏様はいなかった。父方実家は近所だったから
祖父母があちらから帰って来る途中に立ち寄るかも…位の感覚。
隣家では親戚が集まってバーベ―キューをやっていたりするのに…と不満だったこともある。

うるさい人がいなくなったのに、迎え火のやり方までうるさく仕切る私と、
お精進を頑なに守る姉(牛乳をうっかり口にした夫をなじっている)
血だねえと母は笑いながらも少々うんざりしている様子。
叔父(父の弟)も私の父の後に亡くなったが
やはりうちと同じ状態だと、叔母が言っていた。
父も叔父も本家のやり方を踏襲していて、母も叔母も黙って従っていた。
ようやく解放されたと思ったら、子供が口うるさくなってしまったと。

そうはいっても、食べ物に関してはあまり守らなくなってきている。
父が健在の頃から、だんだんとゆるくなっていった。
「昔は違った」「本当は駄目なんだけど」という注釈つきで。
姪や甥も大きくなり、家族が全員集まるのがお盆とお正月なので(若者的)ごちそうを出したくなる。
肉も魚も、ネギ、ニラ、ニンニク、ラッキョウ等も(五葷だか五蒜禁止だったがもうひとつが思い出せない…)
普通に食べ、お精進は16日の朝だけ。


でも、盆棚や迎え火をやめる気にはなれない。
やはり、「帰ってきてくれた」ことは明確に感じるし、それが喜びでもあるので。

私が向こうへいく頃にはうちでも盆行事は廃れているかもしれないし
子孫もいないので心から迎えてくれる人もいないだろう。
でも私もこっちに帰って来なければならない理由は特になさそうな気もする。
死者の為の行事なのか、遺された者の為の行事なのか
曖昧なところもあるので、双方が必要としないのならば、無くてもいいのかもしれない。

とりあえず父が私を迎えに来てくれるまでは
出来る範囲でお盆行事は続けたい。
カテゴリ
月別アーカイブ
ブログ内検索
メッセージ

名前:
メール:
件名:
本文:

書き主

おおやしまねこ