日記(6/28)

友達と多賀城のあやめ祭りに行ってきた。
ayamematuri

盛りは若干過ぎていた。
アヤメだけでなく、杜若や花菖蒲もあった。
(おそらくほとんどが花菖蒲…湿地に植えられていたので)
説明板によると、「アヤメ・カキツバタ・ハナショウブを総称してアヤメとして多賀城市の市花としている」
というようなことが書いてあったので、それで別にいいのだろう。

正直言って、踊りの人たちが邪魔だった。
花畑の回りを囲み、延々とあやめ音頭を踊っていた―でも丘をはさんだもう一つの側はゆっくり見ることができた。
遠目で見た方がきれいかもしれない。
写真は、一通り見て回った中で、特にきれいだなと思った一帯。
品種ひとつひとつに雅びな?名前が付いていた。


多賀城跡にも初めて行った。
多賀城は奈良・平安時代の城、国府。
869年の貞観地震では大きな被害があった。
江戸時代には既に遺跡だったらしい。
多賀城碑と政庁があった跡、政庁へ登っていく大路くらいしか見るものはなかったが、
いかにもな復元建造物がないからこそ
古代のイメージを膨らませることができた。

案内の人と少し話したが
ここで前に書いた(アテルイ伝での)蝦夷(えみし)の話になり
結局、蝦夷はすべてが北に追われたのではなく、
多くは関東に連れて行かれ、一番遠くて(記録に残っている中では)熊本まで行ったらしい。
そして、当時の中央である 大和(やまと)の人たちが大勢、今の東北に連れてこられたそうだ。
やはり何世代も経て混血し、日本のどこででも、今、どちらの血と明確には分からないらしい。

その後、東北歴史博物館へ
お昼は古代米のごはん。
おいしかった。
在来線に乗ったときに脇を通過しながらいつも気になっていた「今野家住宅」の見学をすることもできた。
今は多賀城に移築されているけど、元々は北上町にあったものだそうだ。
知らなかった。
この手の古い民家は他のところでもいくつか見たことがあるけど
ここはかなり、そのままの気配が残されていた。
神棚の正月飾りの白いひらひら(切り紙)がうちと同じだった。



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おおやしまねこ