「国家=悪」と決めつけぬために

産経
【中高生のための国民の憲法講座】
第2講 「国家=悪」と決めつけぬために 百地章先生
2013.7.13 13:28
 先週の講座で「憲法とは国家権力を縛るものだ」といった主張が必ずしも正しくなく、
むしろ一方的に国家=悪、国民=善だと決めつけていないか、と述べました。
今回は憲法を考えるうえで避けて通れない「国家」について考えます。 

 ◆国家に2つの意味
 結論を先に言います。「国家」には2つの意味があります。つまり本来の「国家」と「政府」です。
その両者をきちんと区別して考えないといけません。
 例えば「国を愛する」「国を守る」という場合の「国」「国家」について考えてみましょう。
ここでの「国家」とは、父祖伝来の祖国、先人たちが歴史的に歩んで来た「国民共同体」を指します。
歴史の中で団結したり争う時代はあっても、固有の伝統や文化のなかで国民がともに生きてきた運命共同体、
これが本当の意味の「国家」です。
 これに対して「国を相手に裁判を行う」「国家からの自由」といった場合にも
「国」や「国家」という言葉が用いられます。しかしこれはあくまで統治機構としての国家のことで、
「政府」を意味します。
 それに、権力を悪と決めつけるのも誤りです。
なぜなら、権力なくして国家の独立と平和は維持できないからです。
要は使い方で、犯罪を防止したり国民の幸福を実現するために行使されるのも権力です。
逆に権力の乱用が政治の腐敗や国民の不信を招くことだってあるでしょう。
 大切なことは国家には2つの意味がある、それをしっかりと認識する必要があるということです。
「国を愛する」といっても、決して「時の政府を愛せよ」ということではありません。
また、「国家」によって保護され、人権が保障されているからこそ、
国民は自由に「政府」を批判できるのではありませんか。

 ◆社会契約説は正しいか
 皆さんは学校でルソーの「社会契約説」を習ったと思います。
自由な個人同士の契約によって国家が成立したとして、国家の成り立ちや正統性を説明する理論です。
しかし歴史上、社会契約など存在しませんし、本当に契約によって国家を造ったり解消できるでしょうか。
ルソーのいう「国家」とは「政府」のことと考えられ、それなら社会契約説にも一理あります。
 学校で教わることはまずないのですが、実は社会契約説に対する批判から生まれた「国家有機体説」
という理論があります。国家とはバラバラな個人の寄せ集めではなく、
個の独立と全体の調和が実現する有機的な統一体だとする考えです。
さきほど「運命共同体としての国家」について述べましたが、これは国家有機体説の主張に近い。
「国家」を正しく認識するため、皆さんに是非、知ってほしい考え方です。
 私たちが国民の憲法を考えるさいもこの両者をきちんと区別するよう心がけました。
わが国では「国を守る」と口にしただけで反発を招くような悲劇的な状況があります。
しかしそれは「国家」とは何かがわかっていないか、2つの「国家」を意図的に混同し、
国家=悪だと切り捨てることに原因があります。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130713/edc13071313310002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130713/edc13071313310002-n2.htm




学校の授業でこのような講義があると良いのに…と思う。
今はどうなのか知らないけど、私が中高生の頃は
国家(日本)=悪という観念を植え付けられやすい授業だった。



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