日記(4/20)

定義さんに行ってきた。
正式名称は定義(じょうぎ)如来 浄土宗極楽山西方寺。
子供の頃の夏休みに家族で行って以来。

本当は去年から行きたいと思っていたけど、なかなか機会がなくようやく実現。
友達とお花見や地酒めぐり等の候補もあり、パンダデモの話も飛び込んできたけど定義さんに決定。


定義さんの由来を正確に知ったのはつい数年前。
平重盛に仕えた平貞能(たいらのさだよし)の墓所に御堂を建てて祀ったのが起源。
壇ノ浦から落ち延び隠れ住んでいたとのこと。
さだよし→定義(さだよし)→定義(じょうぎ)という由来。
去年の「平清盛」の中では田口浩正さんが演じていた。
ドラマの中で、貞能は鎮西(九州)に落ち延びたと言っていたが、
平家の落人伝説は全国あちこちにあるので諸説あるのかもしれない。
安徳天皇の遺品を埋めたという塚(の上に植えたけやきの一部)もある。

五重塔は子供の頃に行ったときにはなかった。
本堂も新しくなっていた。
旧本堂や天皇塚は、よい意味で重々しい感じだったが、
新本堂や五重塔はなんとなく、ほんとうになんとなくだが異質な雰囲気。
…5年前にうっかり知らずに行ってしまった某新興宗教神社に近い匂い。
「未来永劫の人類平和を祈念するシンボル」「世界平和祈念」などと謳っているから尚更。
もちろんその趣旨に反対はしないが、古い寺社にあるような趣きとはちょっと違う。
燃え残りのろうそくを無造作にぼんぼんと投げ捨てるように片づけている寺の人もちょっと…
御守授所のおばさんもなんというかアルバイト感丸出し。
でもそんなに悪い印象というわけではない。
行って良かった。

定義さんは一生に一つのお願いを聞いてくれるところと言われている。
霊験あらたかという意味なのか、めったなことで願をかけるものではないという意味なのかはわからないが
前回も、今回も特にお願いはなし。
そもそも阿弥陀如来は現世利益を叶えてくれる仏様ではない。
浄土宗は実家の宗派でもあるので、ただ一心に南無阿弥陀仏とだけとなえてきた。
五重塔は毎月七日に御開帳とのこと。

こういうところのお土産屋さんはみて歩くのも楽しい。
ただ、どの店もほとんど変わらないものを売っていた。
もっと言えば、観光地化した寺社の参道沿いのお土産屋はどこに行っても同じようなものを売っている。
その土地の名物が少し入っている位の違いはあるけど、似ている。

それでも覗くのは楽しい。
玉こんを食べてきた。三角油揚げにも興味はあったが大きすぎる。


前回の記憶が遠すぎて定かではないのだがかなり遠かった。
前回は実家から行ったのでさらに遠かったはずだが、もっと短時間でいけると思っていた。
酔わないように薬を飲んで、きたろう袋ももって、
バスの中でうるさい人がいると困るので耳栓も準備して行った。
きたろう袋も耳栓も使わずに済んだ。
おじいさんの遠足風集団も同じバスだったが静かだった。
これがおばさん方だとおしゃべりとかおやつ回しでにぎやかだったことだろう。
(私たちは静かにしていたよ)
ダムを渡る道が怖くて怖くて、こんな道、前回通ったっけ?と思った。
道は狭く、橋の柵は低く、くねくねとしていてスリル満点。
ダム沿いにお地蔵さんやかざぐるま、怖い貼り紙がある閉じた店とかもあって不気味さ倍増。
帰りはダムの対岸が霞んでいて、なにやら未確認生物でも出現しそうな雰囲気。
でもこういうのも嫌いではない。

帰りのバスを待つ場所。
その窓から見た橋が、夢に何度もでてきた場所で
おそらく前に行ったときの記憶映像が夢に登場していたのだと思うけれど
ああここだったのか…と納得(たまにそういうことがある)。

パンフレットより
定義如来の由来
今から800年前、平重盛(平清盛の嫡男)は平和祈願のため中国欣山寺に黄金を寄進。
その際に送献されたのが阿弥陀如来の宝軸でした。
平家が壇ノ浦の戦いに敗れた後は、平重盛公の重臣・肥後守平貞能公がこの宝軸を守り、
源氏の追討を逃れるため名も「定義(じょうぎ)」と改め、この地に隠れ住みました。
これが定義如来という呼び名の由縁でもあります。
貞能公は建久9年(1198年)7月7日、御年60歳で亡くなられましたが、
墓上(現在の貞能堂の場所)に小堂を建て如来様を安置し、後世に伝えていくことを重臣たちに遺言。
それを守り、宝永3年(1706年)に早坂源兵衛が出家し、西方寺の開創となりました。
(以下略)
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おおやしまねこ