なんだりかんだり

昨日と、3/23にアテルイ伝を観た。
原作は読んでいない。
面白かったけど、ダイジェスト版を見ているような目まぐるしさだった。
BSプレミアムで放送されたものを再編集していたようなので、端折っている部分もあるのだと思う。
それに、私は事前知識をほとんど持っていなかった。
大雑把な地域分けで言うと、実家近辺が舞台の話だというのに。

実家近辺に坂上田村麻呂関連の史跡は多くあるけど、阿弖流為関連のものはほとんどない。
平泉に達谷窟(たっこくのいわや)という史跡があり、断崖に掘った仏様や御堂などがある。
何度か行ったことがある。
そこの案内板やパンフレットに「悪路王」なるものが登場する。
坂上田村麻呂が悪さをする蝦夷の頭、悪路王を退治した時に建てたものだという説明がある。
悪路王=阿弖流為の説が有力だそうだけど、そうだとしたらあんまりだと思う。
討伐した勝者の歴史だと言われればそれまでだけど
でも、時代は少し下って義経関連の史跡も坂上田村麻呂と同じように近辺にいくつもある。
義経も追われて討たれた敗者だけど、その違いは蝦夷か大和人かの違いだけなのだろうか?

ドラマの中で津軽に逃れた蝦夷がどうなったのかわからない、ということだったが、どうなったのだろう。
奥州藤原氏の時代になって、蝦夷(えぞ)まで追われたのか、幾世代も経て大和人と混血して同化したのか。
文化に違いはあっても、そもそも民族的な違いはどれだけあるのか。
そして、別にどっちでもいいことではあるけど
私は大和人なのか、先祖の血には蝦夷(えみし)も入っているのだろうか。
地域としては伊治(これはり=くりはら)支配下だから、早期に降伏しているのか?
ドラマの中だと伊治の長の大杉さんが阿弖流為の父の神山さん(役名がややこしくて覚えられない)に
里人を託していたので、あの辺に住んでた蝦夷もやはり津軽組なのか?
先住民を討伐して追い払った土地に私は住んでいたのか。
もともと大和人が住んでいたところに、もっと北に住んでいた蝦夷が下りてきた、
それを討伐したまでとも聞くけれど、はっきりしたことはわからない。
新たな考え事?ができてしまったではないか。

実家の近所の神社も坂上田村麻呂が建てたものだった。
案内板も坂上田村麻呂を称えるもので、蝦夷討伐は正義であるという書かれ方。
今までそれを疑問に思うことは全くなかった。
無意識的に賊を追い払った=正義というイメージで捉えていた。
片方の側だけの歴史しか知らないというのは危険なことだと思う。
ドラマだけだと阿弖流為が正義にも見えるし、
現在の史跡の書かれ方だと田村麻呂が正義に見える。
双方の正義があり、どちらが正義と結論付ける必要はないが、双方の側、多方面から見た歴史は必要。
ドラマの中のばあちゃんの話ではないけれど、
「昔、この土地には先住民がいたけど征服されて追われた」という
事実は語り継いでいかなければならないと思った。

今、大河では八重の桜放送中だが、会津藩の人々もこの先
新政府軍と戦って降伏した後、斗南(青森県)に落ちのびていく。
会津藩の人々は後に戻ることができたが
状況は違えど歴史は繰り返している。

NHKはアテルイ伝も大河も復興応援の一環としているようだが
どちらも、もともとそこに住んでいる人々が追われている。
東北を題材とすることでの応援なのか
(原発事故で)「また故郷に住めなくなったぞ」という代弁?を
どこぞの方面に向けてしているのかと勘繰ってしまう。


それとはまったく別だが
ドラマの中では坂上田村麻呂は阿弖流為を認め、
悪いのは桓武天皇という図式だったけど、そのいかにもNHK的方向性にもやもやした。


達谷窟
http://www15.ocn.ne.jp/~iwaya/mysite1/bisyamondou.html

伊治城、屯岡八幡宮等
http://www.geocities.jp/sisin9monryu/miyagi.kurihara.html

屯岡八幡宮
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020622

栗原寺
http://www.pacs.co.jp/hist_walk/walk_miyagi01/kurihara_ritugen_temp/index.html
カテゴリ
月別アーカイブ
ブログ内検索
メッセージ

名前:
メール:
件名:
本文:

書き主

おおやしまねこ