日記(3/21)

ようやく、親しい人たちと連絡を取り合うことができた。
避難所にいる友達もいるし、まだ不自由な生活ではあるけれど
無事を確認できただけでもうれしい。

地震発生直後から実家に何度も何度も電話をかけたり、メールを送ったりしたけれど
全くつながらなくて5時間後、ようやく電話が向こうから来て無事を確認。
停電で、携帯の電池は1日目の夜に切れた。
そのため、友達からのメールは全く受け取れず、心配をかけることになってしまった。
住所が市内でも被害が大きかったところなので、土地勘のない遠くの人は心配したようだ。
電気以外は大丈夫だったため(プロパンガスなので)、避難所には行かなかった。
情報はまったく入ってこなくて、二日後に電気が復旧してテレビを見た時、あまりの被害にびっくりした。
津波は自分の住んでいるところから、結構近くまで到達していたことも初めて知った。

友達は市内在住が多いけど、実家が石巻とか、亘理とか、唐桑とかの人が結構多くて
「実家は大丈夫だった?」と聞くことさえ躊躇う。
自分が大変な状況なのに、私の実家の心配までしてくれる人もいて、本当にありがたい。
そして、会った事のないこのブログを読んでくださっている方からも-
-県や都市の固有の名前を出したことはないけれど、このタイトルや一部の過去の記事で
県は見当がつくのだろう…「大丈夫でしたか?」というメッセージ
ほんとうにありがとうございました。

治安は悪くなったし、食糧はなかなか手に入らないし、
買い出しでのエゴむき出しの凄まじさ(必死なのはわかるけど)を目にして気が滅入るばかり。
夜もあまり眠れない。

お彼岸でもあるし、「一度帰っておいで」ということで
3日間ほど帰省した。新幹線や在来線は動いていないのでバスで帰った。
実家の方は震度7の割には、眺めた限り、街並みの家屋の倒壊は少なかった。
道路の大きな地割れがあったようだが、それはTVで見た。
お墓も大部分のお墓は大丈夫だった。(前の地震の時に補強した家が多かったようだ)
実家も亀裂はあるものの、前回、3年前の内陸地震に比べ被害は少ない。
水道は昨日復旧したばかりだが、食糧も手に入り易い。
スーパーの行列も短い。
田舎は米や野菜・味噌等の備蓄があるし、自宅庭で薪で煮炊きできるから災害時は強い。
でも灯油や米泥棒が多発しているらしい。
米や切り餅や野菜などリュックにどっさりと貰い、平常時なら持てないような重さのリュックを背負って
満員のバスに乗ってこっちに戻ってきた。
多くの人は野菜や米と思われる荷物をどっさりと持っていた。
一俵の米(60kg)をかついで乗ってきた人までいた。
高速道路は戦車?(のような自衛隊車両)が行きかい、
リュックを背負って食糧調達なんてまるで戦時中かと見紛うような光景だ。

帰省で精神的な不安感は大分緩和された。
でも生活はまだ落ち着かず、この先どうなるのかもわからない。
必要なものや食べたいと思うものも手に入らないがとりあえず飢えることはないし、
温かい布団で眠ることができるだけでありがたい。
というか、それすら申し訳ないような気がしてきて、心苦しい。
自分が周囲に対してできることはして、せめて身を慎んで、粛々と生きていくしかない。

普段、友達と「別にこの世にそれほど執着はないし、いつ終わってもいいよね~」
などと話していたけど
ものすごい揺れでいろんな物が頭の上に降ってくる中で、
本能的に「今、ここで死ぬわけにはいかない」という強い思いがわきあがってきたし
自分の中であの人は苦手だなあ~と思う人でも、無事を知って本当に心からうれしかった。
少しだけ冷静になった今は
非常時の自分は本当の自分なのだろうか、それとも別の自分なのだろうかと思うこともある。


天皇陛下のお言葉には涙が出た。
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おおやしまねこ