悠仁さま、9歳に…両陛下から戦争の話聞かれる

悠仁さま、9歳に…両陛下から戦争の話聞かれる
2015年09月06日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150905-OYT1T50102.html

秋篠宮ご夫妻の長男で、お茶の水女子大付属小3年の悠仁ひさひとさまが6日、9歳の誕生日を迎えられた。
宮内庁によると、学校では3年になって理科と社会の授業が始まり、意欲的に取り組まれている。
放課後は友達と一緒に大好きな虫捕りを楽しみ、観察した後は、自然に帰すよう心掛けられているという。
休みの日も、昆虫が生息する環境を知りたいと、お住まいの赤坂御用地(東京・元赤坂)の小川や池を見て回られている。
宮邸の畑では、ジャガイモやインゲンなどの野菜を育て、自分で摘んだブルーベリーの実を家族や職員に配られたという。
この夏は、ご夫妻と一緒に戦後70年の企画展などを見学。
戦時下の小学生が描いた絵日記を真剣な表情で読んだり、沖縄戦で家族を亡くした人の体験談を聞いたりされた。
皇居・御所を訪れた際にも、天皇、皇后両陛下から戦争の話を聞かれることがあったという。
2015年09月06日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

お住まいの赤坂御用地で、秋篠宮さまと話される悠仁さま(8月10日、宮内庁提供)
悠仁親王殿下9歳

新選組の斎藤一、謎多き経歴に光 維新後の従軍など新史料

新選組の斎藤一、謎多き経歴に光 維新後の従軍など新史料
2015/9/5 12:26
西南戦争で右肋骨に銃撃を受け、警視庁では中間管理職の警察官――。
幕末に活動した新選組の生き残りとして知られながら、史料が少なく、
謎が多いとされる斎藤一の明治維新後の従軍歴などが5日、
国立公文書館が所蔵する明治時代の恩給関係の文書で明らかになった。
歴史研究家のあさくらゆうさん(46)が公開請求した。
文書は、退職公務員の恩給請求書などをまとめた「明治廿六年官吏進退恩給二」の文官恩給の部。
斎藤は警視庁を退職翌年の1893年1月19日付で、警視総監宛てに申請した。
丁寧な文字で書かれた「西南之役従軍履歴」などは直筆とみられ、
維新後から使った「藤田五郎」の名前で、押印もある。
これによると、斎藤は77年2月20日に内務省の警視局で警部補となり、
同5月17日に「警視第二番小隊半隊長」として西南戦争へ従軍。
4日後の同5月21日に大分県の嵯峨へ着き、
同7月12日に大分県の高床山で弾丸により右肋骨を負傷すると、陸軍の出張病院へ入院した。
部隊復帰は同8月15日で、戦闘終結後の同10月24日に臼杵で乗船。
帰京後の79年10月8日に勲七等を与えられた。
81年の警視局廃止後は、陸軍省の御用掛に。
警視庁の設置で、同年11月11日に巡査部長となり、
翌年12月に月給が12円から15円へ昇給した。
階級は85年7月3日に警部補、88年11月1日に警部へ上がり、92年12月14日に退職。
当時48歳で「官ノ都合ニ依リ諭旨」とあり、16年間の勤務に対する恩給は年46円だった。
これらは妻のトキヲが斎藤の死亡後、
遺族年金に当たる「文官扶助料」を申請した書類にも記されていた。
斎藤は後に東京高等師範学校(現筑波大)や東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)で
守衛や会計などの仕事に就いたが、この間の恩給の請求記録はなかった。
恩給関係文書からは、斎藤がトキヲと結婚した年月日も新たに判明した。
一般的にトキヲとは再婚だったと認識されているが、最初の婚姻だった可能性が高い。
文書は文官扶助料の請求書をまとめた「大正五年恩給文官扶助料十五巻六十一」。
妻トキヲも斎藤の死亡翌年の1916年に申請していた。
これによると、明治維新後に「藤田五郎」と名乗った斎藤は、
1874年3月17日にトキヲと結婚。戸籍はトキヲを「妻」とし、再婚を示す記載はなかった。〔共同〕
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG04HA8_V00C15A9CR0000/

夢2015年9月

何かの人を介しての縁で頼まれ(誘われ?)、偶然にも以前住んでいた場所の掃除をしに行くことになる。
今すぐ行こうと言われるが、急なので少し遅れて姉と車で行くことにする
着る服がなかなか決まらず時間がかかるが
姉と向かう。その家の門?の外は海
その海は作りものらしい
何かのイベントで二週間ほどの海らしい
掃除を誘った人の家に着く
子供もいる
事務所のような感じ パワーストーン販売もしているようだ
電話の傍に地震の時の避難経路のポスターがあるが、どう見ても海近くのもの。
少し何かを食べたり、おしゃべりをして
掃除をする家へ向かう
三つ続きの部屋で、両隣とはふすまでつながっていて、住人がいる
真ん中だけ空き部屋
(そんな部屋に住んだことはない)
台所の天井は取り払われ、明るい天窓になっている
エアコンは新しくなっている
(夢の中では、その部屋に住んだことがあることになっている)

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お墓参り
まだ石がなく、土の塚にきれいな布や紙の飾りがある(実際には墓石がある)
5年を機にもうすぐ石を置くとかと言っている
塚にまとわりついていとおしむ
墓の向こう側は(現実には小高い丘だが)壁で仕切り、大きなモニターがある
「お父さん、老後はテレビが結構好きだったから喜んでいるかも」と
母と姉と、うちの隣のお墓にお墓参りに来たどこかの一家と話す。
お墓から東の方へ少し歩くと
海がある。その海は作りものらしい。
でも、本物のように見える。
この辺まで海が来る夢を前にも何度も見たんだよ、母に言うが無視され、ものすごく腹が立つ。
姉も「ここまで海が来たら志●川なんて水没だよ」と言う。
その墓地は公園かテーマパークのようで、敷地内を走る小さな電車などもある
お堂や細い道やいろんなものがある

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クラス会
小学校か中学校
Hちゃんと隣に座り、いろいろ話す
Mちゃんが皆の前で「離婚しました」と話す
Hちゃん(現実に離婚した)も離婚したし、結構多いんだねという話になる
会場はたばこ屋兼チケット屋のような感じ
同僚のMさんの家かも?
コーラや酎ハイ、サイダーなどを飲む
終わる
会場を出る
土手を上る
かなり急な土手を上って振り返ると
地球を空から見たような、巨大な地球儀をみているような景色
さらに道を歩く
どこかの建物の中を通る
女優?(知らない人)
昔の使用人が気味悪かったという話をしている
~~~
夢の中だということに気が付き
一緒に歩いている人(不明)に
夢の中の土手はなぜだかいつも絶壁だね、と話す

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同僚?Mさん?(違う気もする)
その人と、その人のお母さん(子供を二人連れていて、一人をおんぶ、一人は歩いている)と
散歩をしている。なにかおしゃべりをしながら楽しく歩いている。
川がある。浅瀬で、当然のように水の中に入って歩いて渡る。
川を横断することが初めから決まっていたかのように。
他に何人かの人も一緒にいる。
私の母もいる。
その後、電車で戻る。立っている人もいたが、席が空いていたので座る。
(通っていた)大学の校舎が見える。

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あぜ道を通る

私は池の中に半分入り、靴に水が入りそうになる
だがよく見ると親戚は温泉に入るように池に入っている
(だから靴に水が入っても別にいいのだ という結論になる)
池の傍に建物
両親 家族
~~~
家族と高層階に住んでいる
かなり高く、床から下が見える 怖い
姪と何かのイベントに行くことになり、卓上カレンダーのような電子画面で情報を交換する
同じイベントなのに画面が違う

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学校?会社?を母が(私を)休ませると申し出る
2週間?
学校側に問題があるらしい
どこかへ出かけることになる
実家 以前の建物
朝起きて服を着て身支度を整える
あっさりと準備が整う
(※珍しい いつも服が決まらなかったりして遅れそうな夢をみることが多いのだが)
島根?鳥取?大阪?の方へ
~~~
一関 
父と一緒に父の知り合いのお見舞いに行くことになる
4時には帰ってくると話す

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同僚に鉢植えを貰う
たぶんにんにくかねぎ
少し匂いがする
上を切って(食べて)根っこの部分を植えたものと思われる

日記(9/11)

ものすごい雨だった。
今朝はバスまで止まっていたので
職場もかなり人が少なかった。
地下鉄一本、もしくは歩いても行けるので、こういう時には助かる。


国勢調査の案内が郵便受けに入っていたので
インターネットで完了。
調査員と一切の接触がないのはいい。
前回は平成22年。
平成22年の9月は父が亡くなる少し前だった。
さらにその前の国勢調査の平成17年は、9月のお彼岸の連休に
私が両親を松島に連れて行って、その帰りに私の住んでいる部屋に来てもらって
くつろいでいるときに調査員が用紙を配りに来たのだった、ということを思い出した。

以前の国勢調査では、部屋の面積を書く欄もあった。
部屋の契約書を確認したり、測ったりした遠い記憶がある。
前回はあったのかどうか覚えていないが、なかったような気もする。

<宮城豪雨>水位急上昇、車押し流す 栗原

<宮城豪雨>水位急上昇、車押し流す 栗原
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201509/20150912_13016.html

 丸太に引っ掛かり動けなくなった車が、濁流に押し流された。
宮城県栗原市栗駒猿飛来で11日午前、近くを流れる三迫川からあふれ出した水に巻き込まれ、
軽乗用車を運転していた同市栗駒の高橋ひとみさん(48)が死亡した事故。
たたき付けるような豪雨に見舞われた同市内の河川では、同日未明、急激に水位が上がったとみられている。
 近所の女性(57)によると、10日夜は自宅から200メートルほど離れた場所を流れる三迫川に異常を感じなかったが、
11日午前4時ごろ自宅裏を見回ったところ、敷地より1.5メートルほど低い牧草畑や水田が冠水していたため、
急いで家族3人で避難した。
 夜が明け、午前8時半ごろ自宅に戻ると、周辺に消防車などが数台止まっていて、ボートを出して捜索活動をしていた。
高橋さんは間もなく、車内で亡くなっているのが確認されたという。
 同市栗駒稲屋敷の県道を通っていて行方不明となった軽トラックの男性(62)=同市鶯沢=は、
近くの熊川からあふれた水に流されたとみられる。
 近所の女性によると熊川流域は、周囲より標高が低く、11日未明には数百メートルにわたって一帯が冠水していた。
女性は「ずっと向こうまで水がたまって池か沼のようになっていた。怖かった」と話した。

第2014回「視力は良いですか?悪いですか?」

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ついこの間、職場の健康診断で視力を測ったら
昨年と変わりなかった。
一昨年→昨年はかなり悪くなっていたので、仕事の時だけ眼鏡をかけていた。
一旦、眼鏡にすると坂道を転がるように視力が衰えると、どこかで聞いたことがあるが、そうでもなかった。
視力改善のために、磁石のついた棒?でタッピングしたり、マッサージしたり、
ピンホール眼鏡(100均)を一日5分間かけたり、ブルーベリーのサプリを食べたり
この一年間、いろいろやってみた。
良くもなっていないし、悪くもなっていないのは、それらが効いた上での「変化なし=進行していない」なのか
特に効いていないけど、元々進行もしていないのかは分からない。

体重は2kg弱減っていた。
去年の体重でも「低体重」で要指導だったのに、今年はもっと怒られるのだろうか。
食べる量も労作量も変わっていないのだが。(増やす努力もしていない)

月下独酌

お盆に帰省した時に、姪が高校生の時の漢文の教科書がその辺に置いてあったので
パラパラと見ていたら、懐かしい、月下独酌の漢詩が載っていた。
この詩は暗記させられたので覚えている。
高校生時代にこの詩を学んだ時には
なんと寂しい爺さんなんだろうと思ったが、今ならば深く味わえる。よくわかる。

月下独酌 李白
李白 月下独酌

どうしても縦書きにしたかったので、ワードで作ってそれを画像にした。

現代語訳は
http://kanshi.roudokus.com/gekkadokusyaku.html
こちらから頂きました(無断で済みません)。

花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが
相伴してくれる者もいない。

そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった。

だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、
影はひたすら私の身に随うばかりだ。

まあともかくこの春の間、
しばらく月と影と一緒に楽しもう。

私が歌えば月は歩きまわり、
私が舞えば影はゆらめく。

しらふの時は一緒に楽しみ、
酔った後はそれぞれ別れていく。

月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、
遥かな天の川で再会しようと約束するのだ。



姪の教科書の例題には
「三人とは誰と誰と誰を指しますか?」などと糞つまらない設問があった。
私たちの時はそんな設問はなかったと思う。


自分と月と影で飲む酒。
これは春の詩だが、秋の月夜に私もやってみようと思う。


月下独酌というお酒もあるようだけど、けっこう高い。
私は安酒で十分。

↓このお酒うまかった。
飛騨のどぶ

シルバーウイーク

2003年、国民の祝日に関する法律の改正(ハッピーマンデー法)によって
月曜日に移動した敬老の日と、元々が移動祝日であった秋分の日の日の並びによって、
何年かに一度、秋の大型連休が出現するようになった。
前回は2009年。

「敬老の日」と「秋分の日」はいずれも移動する祝日。
その祝日が、1日跳ばしで並ぶと、間の平日が「国民の休日」となる。
土曜日(企業によっては日曜日)から水曜日まで5日連続で休みとなる。

「敬老の日」は9月の第3月曜日
その日付は、9/15~9/21の間で移動する。
一方、「秋分の日」は太陽が秋分点を通過する日を含む日が祝日となる。
ここ当分は9/22か9/23のどちらか。
間に国民の休日が出来る組み合わせは、
・敬老の日が 9/20で、秋分の日が 9/22
・敬老の日が 9/21で、秋分の日が 9/23
次回は2026年。

日記(9/24)

シルバーウイークも終わってしまい、今日からまた仕事。
今週は二日間だけだからまだいい。

この連休は帰省してお墓参りをした。
天気も良く、のんびり過ごした。
短い休みの間に蛇を二回、カナヘビを一回目撃した。
先日の洪水の痕跡もまだ生々しく残っていた。
近所の人によると、某タレントの実家の神社の鳥居が厳島神社状態だったそうだ。

実家に帰る日の仙台駅は七夕や年末年始ほどではないが、いつもの連休やお盆以上に混雑していた。
嵐のコンサートのせいで。
コンサートが決まったとき、被災地のみなさんに~どうのこうのと嵐の者達が言っていたが、
結局は常に追いかけている人たちが、集結していたのだろう。
もちろん、宿泊施設や飲食店、交通機関など、それなりに経済効果はあったのだろうし
近隣の嵐のファンの人たちも見に行ったと思うし、良かったのだと思う。
別に批判する気はない。
ただ、コンサート会場に宮城のキャラクター達も集まったようで
その中で、「ねじり ほんにょ」が嵐のファンにいじめられていたということを聞いて、むかついた。
ねじり ほんにょは別に好きでも嫌いでもない。
嵐は(ファンも含めて)どちらかと言えば嫌い。
だからこの状況に限っては、私はねじり ほんにょの味方だ。
中に入っていた方(誰だか知らないけど)お疲れさまでした。

日記(9/26)

歯科へ。
新しく近所にできたところに行ってみた。
数年毎に外れていた差し歯は結局作り直すことになった。
今年に入ってから2回外れ、その都度、もっと近所の歯科でつけてもらっていたが
根元から治すor抜くことになった。
めんどくさい。


今日は検査とクリーニングだけだったので
いまひとつ判断はできないけれど
新しい歯科はいまいちかもしれない。
(受付やその他の印象)
実際の治療が始まってみないと何とも言えない。

仲秋の名月

仲秋(中秋)の名月=十五夜
仲秋とは旧暦の秋の三か月(7・8・9月)の真ん中の8月のこと。
この月の満月(望)である旧暦8月15日から16日にかけて見える月。
一年で一番美しいといわれた。
里芋(それに見立てた団子)やススキを供える。
旧暦9月13日は十三夜
収穫の時期もあり、栗名月や豆名月ともいわれ、茹でた枝豆などを供える。
月見は十五夜と十三夜の二度行われていて、一方だけの片月見はよくないとされていた。
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