日記(6/1)

今日から6月
どんよりとしていて肌寒い
夜になってから、電気ストーブをつけている。
今週末は暑くなるらしいけれど、極端な温度差はしんどい。

しばらく品薄だったが、ようやく手回し充電ラジオを買うことができた。
大きな地震は当分こないとは思うが(思いたいが)いざというときのために備えておきたい。
手回し充電、ソーラー充電ができ、乾電池も使える。
LEDライトとFM/AMラジオ、サイレン、携帯電話充電機能がついている。
持っている人の話によると、手回しでの充電はそれほど使えないらしいけど
乾電池が使えるのならば、手回しはいよいよだめという時に使えばいい。
もうちょっとよいデザインの物が欲しかったが、品切れ中なのでとりあえず買えるものを買った。
非常袋は今回の震災の後、作り直していろいろ揃えている。
でも、こんなもの使う機会がもう来ないことを望む。

来襲

(主語は書かない)
来た。

相変わらずテレビは「歓迎している様子」「喜んでいる様子」しか出さない。
菅直人・李明博・温家宝トリオの時もそうだった。
批判的な意見は決して出さない。


Y町の友人からの電話(避難所から4月末に自宅に戻った)
「町内会を通じて沿道に召集された」
「それなのに猛スピードで去った」
「仕方なく出迎えたのに」
「ぼうぼうの髪で、薄笑い 日本の恥」
「●太●? あ、そういえばいたかも」
「震災1ヶ月後の4月11日にどんちゃん騒ぎしていたくせに」
「はずれくじだけど、報道が少ないY町だからあれでもましと思わなければならないのか」

↑この友人はもともと今日来た二人組があまり好きではない。

一応今日は虫歯予防デー
走り去る車に向かって
「歯 痛いし~」(はいたいし)とつぶやいた強者(20代くらいの男性)がいたらしい
土曜日だったため、地元以外の野次馬っぽい人もたくさん集まっていたようだ とのこと。

- - - - - - -

初めの報道ではこっちの市に来るようなことを言っていたので
うえーと思っていたが免れた。
両陛下がいらっしゃった時に、今日の二人組について厳しい、批判的な声もあったらしい。
(直接陛下に言ったわけではないようだが)
それで訪問先が変わった(という噂もある)のか、Y町が是非こちらへということだったのかはわからない。

ありがたいと思う人もいるだろうし、そうでない人ももちろんいる。
腹立たしいのは、両陛下や秋篠宮両殿下をはじめとする他の宮家の方々よりも被災地への訪問は
時期が遅く、訪問時間もそれほど長くはないのに一番活躍しているかのような報道
そして「体調不良なのに、わざわざ」などという印象操作をしようとする報道
一見、大歓迎しているかのような報道
訪問者側(の職員?)が、他の皇族方にはない、いくつかの条件をつけてきたいう話も聞こえてくるけど事実はわからない。


情報操作は怖い
菅の不信任についても否定的な(つまり菅のままでいい)一部被災者のコメントばかりを流す。
実際には菅ではだめだという人はかなりいたのに。


日記(6/6)

今日は暑かった。
7月下旬の最高気温。

新しい帽子が欲しくてしばらく探し回っていたが
ようやくよさそうなのを見つけたので買った。
でもあんまり似合ってない。いろいろ試したけど、帽子そのものが似合わない。
前髪も帽子を被ると邪魔だし。
とりあえず日除けが目的なのでよしとする。


枝野長官、今上陛下が第何代か「知らない」

枝野長官、今上陛下が第何代か「知らない」
2011.6.6 16:14

枝野幸男官房長官は6日の参院決算委員会で、現在の天皇陛下が第何代なのかについて「知らない」と述べた。
天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたる。
枝野氏は今年が皇紀何年(2671年)にあたるかも答えられなかった。
山谷えり子氏(自民)に対する答弁。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110606/plc11060616150015-n1.htm

民主党は左翼なので何も期待はしていないが残念なニュース
枝野さんは悪びれもせずに、知らないけどそれがどうした?という態度だった。

今の人は知らなくて当たり前という意見も多い。
学校で(わざと)教えていないというのがその理由。
でも、暦(カレンダーでなくて暦)には皇紀何年か書いていあるし
今上陛下が何代かというのも少し興味を持って調べればわかること。
一部の神社で配っている小冊子の中には書いてあるものもある。
知らなくて当たり前ではない。
自分の国のことを知りたいとは思わないのだろうか?

戦前は歴代の天皇陛下の名前をすべて言えるように教えられたという。
元素記号のように節をつける覚え方があったということだ。
「じーんむ、すいぜい、あんねい、いとく、こうしょう、こうあん・・・」のように。
それもまた戦前の教育の所以。
民主党員のような反日者達は別にいいとして、
現代の世に生きる一般の人々も、日本人として覚えていてもいい。
戦前、戦時中の教育がすべて悪というわけではないのだから。



日記(6/10)

トイレのタンクの蓋を補修した。
地震で壊れてそのままにしていた。
タンク本体は無事なので、蓋無しでも使えるが、一応、応急処置として直してみようと思い
まず、セメダインで破片をくっつけ、粉々になって足りない部分は
100均で買ったパテを伸ばして埋め込んでみたが、あまりきれいではない。
次に、DIYショップでシリコン入り水周り用ボンドというものがあったのでそれを買ってきた。
へらで丁寧に塗りこんだら、まあまあの仕上がり。

地震によるアパートの壁のひびは建物の持ち主が直すらしいけど
こういう備品はどうなんだろう・・・
もしかしたら退去するときに交換代を取られるかな?
調べてみるとタンクの蓋だけというのはなくて、タンクすべてを替えなければならないようだ。
地震で破損したことは管理会社に伝えたが、「そうですか」としか言われなかった。
それに外回りや土台部分は地震翌日に見にきたけど、室内は見にこなかった。
部屋の住人が代わる時は、汚れや傷みに関わらず壁紙を貼りかえることになっているので
たぶん、壁の奥や柱の修理せずにそれだけで済ませるつもりなのかもしれない。



日記(6/11)

震災から今日で3ヶ月
震災の犠牲者のご冥福を心からお祈りいたします。


震災から2週間くらいはとても長く感じたが
4月5月はあっという間に感じる。
震災前は時間の流れの中で自分も歩いて一緒に進んでいるような感じだったが
震災後は変わり無く流れる時間に、取り残されないように必死で自転車のペダルをこいでいるような感じ
進んでいるのか、空回りしているのかよくわからない。
震災前の2月、3月前半の記憶が曖昧で
前と後でははっきりと時間が分断されている。
震災で何も失ってはいないのに、とても変な感じ。

3年前の6月14日は岩手・宮城内陸地震
33年前の6月12日は宮城県沖地震
そして(体験してないけど)明治三陸地震は6月15日
6月は大きな地震が多いというイメージ。

震災当初の怖さは意識にこびりついて忘れたくても忘れられない。
今もたびたび地震の夢をみる。
でもライフラインのありがたみ、いつでも物が買えるありがたみはつい忘れそうになるので自戒。


夢2011年6月

関東地方に住んでいる大学時代の友人と久しぶりに再会
お互いに再会を喜んでいる
いろいろ話す
-----------------
姉とバスを待っている
バスがなかなか来ないので姉の車で買い物にでかける
姉はポテトチップスにかけて食べる香辛料?のようなものを買っている
春雨サラダのようなものも買う
~~~
朝 テレビが変
寝坊
もう7時22分
窓のカーテンのところに電気のコードがたくさんある
~~~
筵のようなものが役に立つらしい
-----------------
山間の街
住んでいる?
辻に銭湯 苗字の屋号(○○屋 ←思い出せない)
~~~
朝 出かける準備 お弁当をつめている
家族
-----------------
一面平地 津波?
走って逃げる
後ろを振り返ると土手があるので登る
-----------------
数人で旅 車 海辺の旅館
干潮 塩田のような風景 夜
-----------------
バス
初め前の席をとるが、思い直して一番後ろの席に替える
たくさんの荷物を移動する
座る
-----------------
姉たちと出かける
買い物?いったん別れ、後で待ち合わせることにする
待ち合わせの時間は午後8時半だという
私は遅いなあと思う
~~~
朝、仕事に出かける準備
枠のある靴下
そのまま洗濯機に入れないようにと姉に言われる

日記(6/15)

買ったきゅうりにスが入っていた。
手抜きして食べようとした生協のレトルト牛丼がまずい。
ちっ

土方歳三辞世に新説「鉾とりて月見るごとに…」

土方歳三辞世に新説「鉾とりて月見るごとに…」
読売新聞 6月15日(水)14時49分配信
新撰組副長・土方歳三(1835~69)と最後まで行動を共にした隊士・島田魁(かい)(1828~1900)が
まとめたとされる和歌集の巻頭歌が、土方の辞世と考えられるとの説を、幕末研究で知られる
霊山(りょうぜん)歴史館(京都市)の木村幸比古・学芸課長が打ち出した。
 「従来、辞世とされてきた歌は詠んだ日時の推定が難しいが、巻頭歌は間近に迫る死を覚悟した内容で、
亡くなる前日に詠んだ可能性が高い」としている。
歌は「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照(てる)かと
(鉾を手に取って月を見るたびに思う。あすはしかばねの上に照るのかと)」。
島田家に伝わる和歌集の冒頭に土方の名で記され、和歌集は26年前に同館に寄贈されていた。
木村課長が今年、修復にあわせて、ほかに名のある30人を調査、大半が新撰組隊士や幕府側の藩士らで、
戊辰(ぼしん)戦争(1868~69)で降伏し、長く生きたことがわかった。自然のはかなさを詠んだ歌が多く、
維新後に隊士らが作り、島田がまとめたと判断した。
土方は、旧幕府軍の指揮官として戊辰戦争に加わり、新政府軍の総攻撃を受け、銃弾に倒れた。
生き残った藩士らの証言などによると、その前夜、旧幕府軍幹部らが惜別の宴(うたげ)を開いていた。
木村課長は「歌には悲壮な決意が示されており、土方が明日の死を予期しながらこの席で詠み、
島田が大切に記録していたのでは」と話す。
最終更新:6月15日(水)14時49分

読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110615-00000681-yom-soci

次予定の人を飛ばしてほしい

浩宮さんドイツ訪問前会見

宮内庁HP
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/gaikoku/gaikoku-h23az-germany.html

(一部抜粋)
関連質問
~殿下2月の誕生日会見の際,雅子さまの公務について,病気療養中であり,
愛子さまの通学に付き添われていることから,限られたものとならざるを得ない状況とおっしゃいました。
例えば,被災地への訪問は,愛子さまの学校がお休みの日に行かれていますが,
これは愛子さまのご通学を考慮されてということなのでしょうか。~(以下略)~


被災地への訪問については,先ほどもお話ししましたように,雅子も被災地で大変な思いをしておられる方々に対して,
格別な思いを持っておりまして,被災地の訪問については,できる限りやっていきたいというふうな気持ちを持っております。
被災地の訪問については,現地での受入れの状態なども考える必要がありますので,そのような意味でも,
現地の県なりといろいろ協議をしながら,訪問に適当な時を選んで,考えております。~(以下略)~



県では6月4日(土曜日)という指定があったと言っている。
自分たちの都合で(学校付き添いという事情はあるのだろうけど)ごり押しで日程を決めたくせに何を言っているのか。
他の皇族方は平日に動いているのに。
さらっと嘘を言わないでほしい。
もしかしたら東宮職員が夫妻に配慮(被災地に配慮ではなく)して日程を決めて、
この者に「6月4日に要請がありました」とでも伝えている可能性もないわけではないが。
で、賢くない人だから「ああそうか、4日に是非来てくださいと言われたのか~」と単純に思ってしまったとか?

全文を読むとこれ以外にも「は?」と言いたくなる箇所がいくつもある。


陛下のご学友、橋本明氏は雑誌の中でこのように言っている
『月1回、週末のお見舞いだけではいかにも少なく、とても両陛下の御心に沿う物ではない。
皇太子・皇太子妃としての使命を果たしておらず失格と言わざるをえない
皇太子夫妻の被災地訪問が少ない理由が雅子妃の体調によるならば、
皇太子一人で被災地を回り使命を果たしていただきたい。
被災地訪問でも他の公務に関しても、両陛下が皇太子夫妻にああせよこうせよと命じることはない。
そのことに甘んじて公人としての義務を軽視し続けるなら両陛下のお気持ちに反している。
更に言えば夫妻のみならず、皇室全体が国民の信頼を失う姿につながってしまう。
今後も皇太子・皇太子妃のご使命を果たすことができないなら、その地位を、秋篠宮ご夫妻にお譲りになるべき
日本が未曾有の危機を迎えている今、皇太子夫妻にはもう一度ご自身の立場を厳しく見つめ直していただきたいと思う。』


皇族方の慰問が禍者で〆られるのはいやだなあと思っていたら
今月28日と来月8日の二回、秋篠宮両殿下ご来県とのこと。
よかった。



日記(6/20)

同僚から葉つきの大根を頂いた。
夏大根とは、ありがたい。
ナメタケと大根おろしとめんつゆをかけた冷たいお蕎麦(これはスパゲティでもおいしい)
塩大根
葉っぱは刻んでごま油炒め などなど
いろいろ作った。

日記(6/22)

夏至
今日は暑かった。
今年は節電で、冷房自粛。
冷房が苦手な私にとっては快適。
職場の冷房スイッチ奉行の暑がりさん、残念でした。ふふ。

日記(6/25)

浸水して部屋の中のものを買い替えた友達が
カーテンを今までになく緑色のものをつい買ってしまったと言っていた。
そしてうちの台所を見て、「なんか緑色のもの、増えてない?」と。
・・・そう言われてみれば、特に意識はしていないが、台所用品はこの頃緑色のものを買ってしまっている。
洗い桶(以前にここで書いた)は他によい色が無かったから仕方ないとしても
ミニフライパンやスリッパ、抗菌まな板など他の色を選ぶ余地もあったのに
なぜか緑色を選んでいた。
本来は緑色が特に好きだというほどでもない。

緑色ってどういう意味があるのだろう・・・とちょっと調べてみると
安心感や安定、調和を表す色
潜在意識で↑のようなことを求めているのだろうか・・・
津波の被害を蒙った友達が「安心」を求めるのはわかるが
私は特に大きな被害はなかった。
確かに「安心」は求めているけど同列に考えてはいけない。
私の場合は、偶々だろう。たぶん。

秋篠宮両殿下気仙沼へ

NHK仙台放送局
秋篠宮ご夫妻が被災地に
秋篠宮ご夫妻は、震災で大きな被害を受けた気仙沼市を訪れ、
今月23日に再開した気仙沼港の魚市場などを視察されました。
新幹線で宮城県入りした秋篠宮ご夫妻は、27日午後、気仙沼市を訪問されました。
ご夫妻は、生鮮かつおの水揚げが全国で最も多かった気仙沼港で
今月23日に再開したばかりの魚市場を視察されました。
そして、漁協の関係者などから、魚市場が再開にこぎつけたいきさつや、
復旧にかける思いなどについて説明を受けられました。
秋篠宮さまは、漁協の関係者に「がんばってください」と声をかけ、励まされていました。
このあと、ご夫妻は紀子さまが総裁を務められている「結核予防会」がボランティア活動をしている、
気仙沼小学校を訪問されました。
おふたりは、担当者から「仮設住宅に移った被災者が孤立しないよう、
心のケアが大切になっています」などと説明を受けられ、
紀子さまは「みなさまのご協力があってよかったです。心強いと思います」と声をかけられていました。
06月27日 18時37分
http://www.nhk.or.jp/sendai/lnews/6003723031.html


河北新報
秋篠宮ご夫妻 気仙沼見舞う 被災者と交流
秋篠宮ご夫妻は27日、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市を訪問し、被災者を見舞われた。
ご夫妻の宮城県訪問は震災後初めて。
ご夫妻は、JR鹿折唐桑駅前を視察。打ち上げられた大型漁船の前で菅原茂市長から被災状況の説明を受け、
海に向かって両手を合わせて黙礼した。
市魚市場では、水産関係者と懇談。気仙沼小も訪れ、被災者の健康対策に取り組む
結核予防会(東京)のメンバーと面会した。紀子さまは同会の総裁を務めており、
「(被災者にとって)心強いことだと思います。感謝します」と激励した。
避難所となっている同小体育館では、被災者の苦労をねぎらった。
別の避難所から駆け付けた小野寺はや子さん(68)は、
秋篠宮さまから「夏の避難所は過ごしにくくなりますが、どうぞお元気で」と声を掛けられたという。
小野寺さんは「夢のよう。元気が出た」と笑顔を見せた。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110628t15017.htm

秋篠宮ご夫妻、気仙沼を訪問
「体調に気をつけて」被災者を激励
秋篠宮ご夫妻が27日、気仙沼市を訪れ、被災者らを見舞われた。ご夫妻が震災後に県内を訪問されたのは初めて。
ご夫妻はまずJR鹿折唐桑駅前をご訪問。海から約1キロの陸地に打ち上げられた大型漁船や、がれきの山をご覧になり、
海に向かって手を合わせて黙礼された。
ご夫妻はその後、被災した市魚市場で水産関係者らと懇談し、避難所の市立気仙沼小学校を訪問された。
集まった避難者に、秋篠宮さまは「早く仮設(住宅)に入らないと、夏になって避難所も過ごしにくくなります。
体調に気を付けて下さい」と声をかけられた。紀子さまも「頑張って下さいね」と避難者の手をぎゅっと握って激励された。
自宅が全壊した小野寺はや子さん(68)は「両殿下から励まされ、元気が出た。まるで夢のよう」と喜んでいた。
ご夫妻は7月8日に再び本県入りされる。
(2011年6月28日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20110628-OYT8T00071.htm


気仙沼の中でも報道の少ない唐桑(旧唐桑町)御訪問はありがたい。
秋篠宮両殿下は3年前の内陸地震の時にもお見舞いにきてくださった。
秋篠宮両殿下はいつも交通の便のあまりよくないところを訪問されている気がする。
7月8日にもご来県とのこと。
ありがたいことだけれど、両殿下は御多忙すぎる。


平成23年12月28日 追記
みやぎ県政だよりより
唐桑

ちょっと残念

この前の日曜日、TBSドラマ『JIN-仁-完結編』が終了した。
part1が結構面白かったので続編も観ていたが、続編はそれほどでもなかった。
謎が解決したこと(うまく言いくるめられたような気もするけど)は良かったけれど、
謎解き編2時間SPだけでも良かったような・・・
part1は最終回以外が良くて、完結編は最終回だけが良かった。
part1は録画して繰り返し観たが、今回はそれほど思い入れがない。
(初めの数回はL字で震災情報が入っていて観返すと未だにざわざわとする)
命や救いについても、明らかに自分の思いが変わっているということもある。
part2の第1回目から救えない市井の人が多すぎだし、
「神は乗り越えられる試練しか与えない」のセリフが今となっては空しく感じてしまう。
第6話(田中久重さんの回)はわりと好きで、録画は6話と最終話だけ残した。

幕末史は好きなので、そのあたりは面白いと思ったし、彰義隊を話に絡ませたのは良かった。
このセリフが良かった。
「あの人達は、ただ切羽詰ってただけじゃなくて、意外に、明るい気持ちもあったのかなって。
もし、かけがえのないものが無くなってしまうのなら、一緒に無くなるのが、いちばん幸せだって。
そんな風にも、思ったのかなって…」
これは歴史ドラマではないのだが、官軍=正義のような薄っぺらいドラマとは一味違う。
龍馬の「またこの国に生まれて来たいと思える国にする」も
龍馬伝の龍馬の「みんなーが笑って暮らせる世にする」よりいい。

完結編全体的にはちょっと細部の中途半端な感じが否めない。
まあ、不満足ではあるけれど、結末はあれで良かったのかもしれない。
(もっと入り込んで観ていたら、結末に憤ったかもしれないが、どうでもいい)

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