日曜夕方のEテレ

以前、日曜日の夕方はEテレで午後6時からのベニシアだけを観ていた。
その直前の5分間に不思議な歌?美術品解説?の番組の存在に気が付き、それも観るようになった。
(今年の春からその番組は無くなった)
さらに5時半からの機関車トーマスも観ることになった。
トーマス…甥が子供の頃、機関車セットも持っていたし、
私もリクエストに応じて、ハロルドとかメイビスとかジェームスとか名前は知らないけどバスとか買ってあげた。
甥は絵本やビデオも持っていて、それを一緒に観ていたが
今のトーマスはなんだか違う気がする。
映像もなんか違うが、ストーリーも違う気がする。
たぶん、子供向けの絵本やビデオは(道徳的に)いい話をピックアップしていたのかもしれない。
テレビのトーマスはみんなそこそこ性格が悪く、嫌味は日常。トラブル多発。
なんで機関車が勝手に仕事を選んだり、競争したりしてるんだか。
憂鬱な日曜日の夕方に観ると逆にフフンと笑えるのがいい ということでトーマスも観ている。
そして自分も多少の毒は出しつつ、役に立つ機関車(仕事人)になろうと思うのである。
その前のミッフィーも馬鹿馬鹿しくていい(これはながら見)。
あれはどこからか抗議がでないのか気になる。
ウサギ(白)はいい子で相棒のブタ(褐色)はいい子ではない。
悪い子というわけではないが、ミッフィーよりさらに幼い感じ。
私は特に問題とは思わないが、ある団体が問題にしようと思えば問題ともいえる案件だ。
ずっと前にここで新聞記事の切り抜きの感想として書いた「改変赤ずきん」の著者はどう思うだろう。
でもあの形式で長く続いているということは大丈夫ということなのだろう。

今日はうっかり17時前にテレビをつけたら
ねこがどっさり出ていた。←不定期らしい。
あなどれないEテレ。
でも18時からはベニシアではなく坊さん料理だった。



ひとりごと

この前のダーツの旅は「高清水」だったが
あれにでてきたおじさん…スタッフに道端に生えていた野蒜を勧めていた人、ああいう人は本当に苦手。
決してあの辺を貶すつもりはないが、ああいう人は実家周辺にもたくさんいる。
父方の親戚にもああいうのがいる。
勧めておいて、いざ食べると
「ふん、そんなもの食べるやつはいない」「こんなの食べたことはない」
面白いつもりなのかもしれないが、不愉快。あれはほんの一例。
※野蒜は食べられる。おいしくはないが。
あの手のもっと手の込んだ意地悪さ(おそらく無意識)に
私の母などは他所から嫁いできて、さんざんやられた。
もちろん、親切な人も沢山いるし、あれを意地悪と捉えるのは被害妄想のようなものかもしれないが
とにかく、たったワンシーンで見事に県北の嫌な人(私主観では苦手な人)を表現していた。

<内陸地震9年>忘れない祈りと涙

<内陸地震9年>忘れない祈りと涙
 死者17人、行方不明6人に上った岩手・宮城内陸地震は14日、発生から9年を迎えた。
最大被災地の栗原市では発生時刻の午前8時43分、市民や遺族らが追悼のサイレンに合わせて黙とうした。
 土石流が温泉旅館を直撃し、7人が亡くなった同市栗駒耕英の「駒の湯温泉」近くに設置された慰霊碑には、
遺族や地区民ら30人が集まり、花を手向けるとともに追悼の祈りをささげた。
 温泉従業員だった母高橋恵子さん=当時(55)=を亡くした会社員菅原恵美さん(40)は
「9年はあっという間」と振り返る。恵子さんは見た目が若かったので、よく姉妹に間違われたという。
「優しくて自慢の母でした」と涙ぐんだ。
 千葉健司市長は午前、花山地区と栗駒耕英地区を訪れた。
このうち、花山農山村交流センター前では、遺族らと黙とうし、慰霊碑に献花して犠牲者の冥福を祈った。
2017年06月14日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201706/20170614_13045.html

スポーツ嫌いダメ?国の目標波紋 「体育の恨み」影響も

スポーツ嫌いダメ?国の目標波紋 「体育の恨み」影響も
伊木緑
2017年6月3日05時09分
スポーツが嫌いな中学生を現在の半分に減らす――。スポーツ庁が掲げた目標に、
一部で反発の声が上がっている。嫌いなままじゃダメですか?
スポーツ庁の昨年度の調査によると、運動やスポーツが「嫌い」か「やや嫌い」な中学生は16・4%。
微増傾向にある。このままでは将来、運動しない大人が増えてしまうと、
同庁は3月、5年かけて8%に半減させる目標を「スポーツ基本計画」の中で打ち出した。
この計画が報じられると、「強制しないでほしい」「余計嫌いになる」
「嫌いで何が悪い」などの意見がネット上で飛び交った。
スポーツが嫌いになるのは、体育の授業にも原因がありそうだ。
フジテレビのトーク番組、「久保みねヒャダこじらせナイト」には、
視聴者からの投稿による人気コーナー「体育への恨みつらみ川柳」がある。
出演者の漫画家の久保ミツロウさん、音楽家のヒャダインさん、
文筆家の能町みね子さんが全員体育嫌いだったことで意気投合し、生まれたコーナーだ。
記者が取材を申し込んだところ、番組内での「公開取材」を求められ、
3人の言い分を聞くシーンが5月上旬に放送された。
ヒャダインさんは「体育が嫌なのは恥をかかされるから。
周りに迷惑をかけている申し訳なさ、馬鹿にされているんだろうなという自虐。
ネガティブな感情ばかりが渦巻くんです」。能町さんは「体を動かすこと自体が嫌いなわけじゃない。
うまい人とやるから嫌いになる。レベル別に完全に分けてくれればいいのに」と提案する。
市民ランナー向けの雑誌「ランナーズ」を発行する「アールビーズ」の広報・小川久美子さんも、
学生時代は吹奏楽やオーケストラに熱中し、体育の成績は「2」の文化系の少女だった。
しかし10年ほど前、「自分の時間が欲しい」とたまたま始めたのがランニング。
100キロのウルトラマラソンにまで挑戦するようになった。
すっかりスポーツが好きになり、「子どもの頃の自分が知ったらびっくりするでしょうね」。
旗振り役のスポーツ庁にも、体育嫌いの過去を持つ人はいる。
学校体育を担当している平井明成総括官も学生時代、体育は「2」だった。
球技の授業は「補欠」、水泳は休むこともあったという。
そんな平井さんも、今ではときどきジムに通って汗を流す。「年を取ると運動したくなるものなんです」。
確かに、スポーツ庁の世論調査によると、「週1回以上運動する」人は70代が最も多く、65・7%。
「体を動かすことは衣食住と同じように生きる上で大事なこと。
やりたいと思った時、少しでもうまくできる方がきっと楽しいですよ」と体育嫌いの子どもたちを励ます。
剣道部だった平井さんが思い出すのは、中学1年の1学期だけ指導してくれた若い臨時教員の男性。
教え方が的確で上達を実感でき、楽しかったという。
「指導者との出会いは大切。そういう人材を増やしていきたい」と話す。
スポーツ庁の鈴木大地長官は、1988年ソウル五輪競泳金メダリスト。
反発の声に「普段どうしてもスポーツが好きで推進する立場の人の意見ばかり耳に入ってくるが、
これからは嫌いな人の意見ももっと聞かないと」と話している。(伊木緑)
http://digital.asahi.com/articles/ASK525CYPK52UTQP01H.html
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

ここでも何度か書いた気がするが、私も学校時代、体育が苦手で大嫌いだった。
今も憎悪している。
書いたことがあると思うが、私が小学4年生から6年生までの3年間、
体育推進指定校となって毎日体育があった。
クラブ活動も運動クラブのみ、朝も休み時間も業間運動と称してスポーツを強制された。
地獄のような日々だった。
タイムマシンに乗って、当時の小学校を爆破したいほど憎んでいる。
体操着を持っていくのを忘れた夢や、明日、体育やだなあと思っている夢も未だにみる。
上の記事のヒャダインさんとほぼ同じ意見だ。

でも自分のペースで体を動かすのは嫌いではないし、
勝敗に関係のない、個人や家族で楽しむレクレーション的なものであれば抵抗はない。
スポーツ好きの人の言い分もわかるが、「押しつけ」はやめてほしいと思う。

「怒りを自ら作り出す人」の残念な思考回路

東洋経済ONLINE
「怒りを自ら作り出す人」の残念な思考回路
怒りを「大掃除する」効果的な方法
草薙 龍瞬 :僧侶、興道の里代表 2017年03月08日
http://toyokeizai.net/articles/-/161332


人間関係、仕事、家族、日常生活……あらゆる場面で「怒り」を感じることがあります。
怒りのせいで「また失敗した」と感じることも。
怒りを外にぶつけて、苦い思いを繰り返すか、ぐっとのみ込んで、時間が経つのをひたすら待つか。
いずれも、苦しい状態です。
怒りから、もっと自由に、ラクになれる方法はないものか――
“人生の達人”ブッダに聞いてみると、意外な「怒らない方法」が返ってきます。
「人生を快適にする合理的な方法」として仏教を説く、
独立派の出家僧・草薙龍瞬氏(著書に『反応しない練習』がある)が、ブッダ流「怒りの消し方」を紹介します。


「怒り」は、誰にとっても切実なテーマです。その最大の理由は、
人間関係に支障を来すこと。自分にとって、ストレス・苦しみになることです。
だから「怒らないようにしよう」と考えるわけですが、現実には「つい怒ってしまった」「やってしまった」ということばかり……。
「怒ってはいけない」と頭ではわかっているのに、なぜ怒ってしまうのでしょうか。
仏教流に考えれば、それは「怒りの正体が見えていない」からです――。

■怒りのほとんどは、理由がない
怒りは “心の反応”のひとつ。不快な反応です。
その理由は、世間ではさまざまだと思われていますが、仏教的には、実は2種類(!)しかありません。
ひとつは「物理的な刺激」によるもの。たとえば、危険な目に遭ったり、体に触られたりしたときの不快感――
これは、生き物に共通する最も原始的な怒りです。
これ以外の怒りは、1種類だけです。つまり「精神的な刺激」による怒りです。
たとえば、嫌いな相手の振る舞いや、思いどおりに進まない現実への怒り、
いつ始まったのか自分もわからない慢性的なイライラなど――
これらはすべて、肉体ではなく、心が刺激を受けて生まれた反応です。
しかし、不思議な現象だと思いませんか? 
なぜ物理的な接触がないのに、心が刺激を感じて怒ってしまうのでしょうか?
心が刺激されてしまう理由――そこを突き止めることが、「怒らない方法」の決定的なポイントになります。

■初公開・怒りを克服する3つの対策
ブッダの知恵を生かせば、怒りのタイプは3つです。そのタイプごとに「怒らない方法」を、まとめてみましょう。

《その1 貪欲タイプの怒り》
ひとつは、「貪欲」つまり “欲求過剰”(求めすぎ)な精神状態からくる怒りです。
たとえば「もっと高く評価されたい」「もっと業績を上げたい」
「もっと早く、もっと高いスコアで試験に受かりたい」といった願望です。
人間関係で「あの人とは話が合わない」「わかりあえない」という不満・ストレスも、
意外かもしれませんが、貪欲タイプの怒りだったりします。
つまり、相手に「わかってほしい」「こうあってほしい」「味方でいてほしい」という過剰な期待や要求が、
そうはならない現状に「怒り」をつくり出しているのです。

<対策>
こうした求めすぎタイプの怒りは、「私が求めすぎているんだな(欲求過剰なんだな)」と
客観的に理解することが、コツになります。
というのも、求めすぎている精神状態では、何も変わらないからです。
他人は、自分以上に変わりにくい(期待できない)相手なので、そのままでは、不満も、相手との衝突も、続いてしまいます。
そこで、求めすぎている状態に気づいて、「考え方を切り替えよう」と考えます。
「自分に今できることは何だろうか?」と、自分に聞いてみるのです。
体を動かす作業。自分の役割。自分にとって有意義で、楽しいこと。できることは、意外とたくさんあります。
自分の持ち分・領域のほうに心を向けることを基本とするのです。
こうした心掛けを、仏教の世界では「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」と表現します。
反応するより、自分の足元をよく見よう、という意味です。

《その2 怒りタイプの怒り》
ふたつ目は、「怒り」がつくる怒りです。
奇妙な言い方ですが、「すでにある怒りが、あらたな怒りをつくり出している」状態です。
たとえば、過去にイヤなことがあって、怒りが残っていたとします。
すると、心は、持続する(執着する)性質を持っているので、その怒りで別のことに反応しようとします。
その刺激となるのが、「不快な過去の記憶」や「他人の欠点」や、「これは許せない」と思える世間の話題です。
これらに反応して、新たな怒りをつくり出すのです。
これは、いわば「怒りの自家発電」。過去の怒りをエネルギーにして、新たな怒りを生んでいる状態です。
「怒りっぽい人」というのは、その一例です。
理性では「怒ってはいけない」と思いつつ、心に残っている「怒り」でつい反応してしまうのです。
怒りがぶり返すごとに、正しい言葉で切って返す

<対策>
この怒りにも「心の理解」から入ります。「過去の怒りが残っている。でも今は関係ない」と、はっきり自覚するのです。
心にくすぶっている怒りは、今とはなんの関係もありません。心にとどまっている「感情の残りかす」みたいなものです。だから、
「この残りかすの怒りだけ、解消すればいいんだな」と考えましょう。
そのうえで楽しいこと、たとえばスポーツとか、食事とか、気の合う友だちと飲みに行くことなどに時間を使って、
「怒りのお掃除」に努めます。
このタイプの怒りで大事なのは、後で「思い出さない」ことです。
過去の怒りは、過去のもの。思い出すだけ、自分がソンです。そこで、
「過去の怒りを、今怒る理由にはしない。忘れていい怒りなのだ」
と、言葉にして(念じて)みましょう。なかなか消えない怒りもありますが、
そうした怒りがぶり返すごとに、正しい言葉で切って返すのです。

《その3 妄想タイプの怒り》
もうひとつが、「妄想」が生み出す怒りです。妄想とは、現実に存在しない、頭の中にしかない思いのこと。
この妄想が実に厄介、しかもバラエティに富んでいます。
たとえば、イヤな過去を思い出して、怒りを再発させる。
これは、先ほどの「怒りタイプの怒り」ですが、最初の怒りを長引かせてしまうことに力を貸しているのが、
「記憶」という名の妄想です。
また、人がよくやる良しあしの「判断」――つまり「自分は正しい。
相手が間違っている」という思いや、他人と比較したり、優劣・勝ち負けにこだわったりという心理も、妄想にあたります。
さらには、怒らなくてもいい(怒ってもしようがない)ひとごと、たとえば世間をにぎわす事件や話題に、
「まったく!」と1人で憤慨している状態も、妄想して怒っている状態です。
つまり、過去も、判断も、ひとごとも、心の状態としてみるなら「妄想」です。これにとらわれると、暗い怒りが募っていきます。
「小さなことに腹が立つ」「なぜかいつもイライラしている」「最近楽しくない」と悩んでいる人は、大勢います。
こうした怒りの根っこにあるのは、妄想なのです。

<対策>
妄想への対策は、仏教の世界にはたくさんあります。
今回は、なかでも決定的に大事な心掛けを、ひとつ紹介しましょう。それは、
「事実と妄想は違う」
という理解です。これはシンプルですが、革命的な力をもった理解です。
事実とは、妄想の外にあるもの。いわば、脳の外・自分の外に客観的にあるものです。
今目の前にあるもの――その相手や、家族や同僚や、モノや、職場は、自分の妄想以外のところに存在している事実です。
これに対して、頭の中で、言葉で考え、映像で見るものは、妄想です。
この妄想が消えると、どうなるでしょうか? すると、妄想が作り出す怒りも、消えてしまいます。
たとえば、人間関係で考えてみます。相手がこちらに視線を向けてきた、イヤミを言ってきた、
非難・中傷をぶつけてきた、としましょう。
ここで反応すると、瞬時に妄想にのまれます。
つまり記憶に刻んで、思い出して、相手を裁いて、攻撃して、という精神状態に陥ります。これが、妄想が作り出す怒りです。
では「事実確認にとどめて、決して妄想しない」という態度なら、どうなるでしょうか。
求めないし、思い出さないし、判断もしない、としたら?
そのときは、「相手の言っていることは、理解できます(でも反応しません)」という態度に変わります。
もちろんなかなか難しいことです。でも、妄想さえ捨ててしまったら、多くの怒りは消えてなくなります。
そのことは、理解してもらえるのではないでしょうか。

■ブッダは妄想ではなく理解で返した
興味深い例として、『原始仏典』という古い仏教書のエピソードを紹介しましょう。
ある日ブッダは、嫉妬に駆られたバラモンに、さんざん悪口をぶつけられるという災難に遭遇しました。
周りの人は青ざめたり、激高したりと、騒然となりました。
でも、このときブッダが返したのは、意外な言葉でした。
「あなたがふるまったごちそうを客人が食べなかったら、その食事は、あなたのものになるだろう」と語り、こう続けたのです。
「私は、あなたが差し出す食事(つまり怒りの言葉)を受け取らない。だからそのまま持って帰るがよい」
平たくいうと、「あなたが食べるのは、あなたの自由だけど、私は食べません(反応しません)よ」というのです。
実に合理的で明快な返し方だと思いませんか。
確かに、外の世界も、他人も、いろんなことを言ってくるし、よからぬ考えを向けてきます。
でも、それに反応したら、自分の中に苦しみが生まれます。
その苦しみを長引かせるのが、妄想です。ひとの心には、記憶や、良しあしの判断、先行きへの不安や心配、
社会にあふれる情報や話題など、妄想する材料は、いくらでもあります。
しかしそのままなら、怒りは、いつまでも続くことでしょう。
だからブッダに学んで、「怒りをつくっている妄想に気をつける」のです。
そこで、こんな心構えで日常を過ごしてみましょう。難しいけれど、練習です――。

・外の世界・相手に、妄想から入らない。「期待」や「判断」に走らない
・そうした自身の思いに、「これは妄想」と、まずは気づく
・不愉快な相手には、「あなたにとっては、そうなのですね(理解はできます)」という立場に立つ

妄想せずに、理解から入るように練習するのです。相手に対しても、どんなときもです。

■「いざというときの考え方」を知っておくほど得をする
『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていく ブッダの超・合理的な「考え方」』
「でも、そんなこと口に出したら、余計に怒られます」と言う人がいます。それはそうです(笑)。心の中でやってください。
また、期待も、求める心も、妄想も、決してマイナスだけではありません。
やる気につながったり、仕事や人間関係に改善をもたらしたりと、プラスに働くこともあります。
ただ確実に必要といえるのは、問題が起きたときの「心の使い方」なのです。
その点で、2500年の蓄積をもつブッダの知恵を、生かさない手はありません。
怒りをつくっている本当の原因に気づいて、正しい心の使い方に戻ること。
こうした心掛けで暮らしていけば、小さな怒りを引きずることは減っていきます。やってソンはありません。
練習次第で、心は変えられます。幸福、充実、軽快、満足という、もっと大切な心に向かって、いざ、精進!

電話は嫌い、非通知出ない 人事も驚く今どきの就活生

電話は嫌い、非通知出ない 人事も驚く今どきの就活生
2017/3/8
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO13579300S7A300C1000000?channel=DF180320167086&style=1

「学生が電話に出てくれない」――。3月1日に解禁となった2018年卒の採用活動。
浪人や留年などの寄り道なしで卒業予定であれば、1995~96年生まれの大学生たちは、
生まれたときからの携帯電話世代だ。彼らの通信手段は「LINE」「ツイッター」がほとんど。
就職活動になって初めて、「見知らぬ大人との電話コミュニケーション」に直面、とまどう学生も少なくない。
通信手段の変化が、就活に思わぬハードルをもたらすこともあるようだ。

■電話対応、採用の評価に
 「電話、やっぱり嫌ですよね。アポの調整はメールがいい」。早稲田大文学部3年の女子大生はこう話す。
さらに「知らない番号は気になる」という。就職活動を本格化し始めた昨年秋ごろから、
登録した就職支援会社から、イベント勧誘の電話が頻繁にかかってくるようになった。
「何時にかかってくる、とあらかじめわかっていれば対応できるけど……」と不快感を隠さない。
就活生には電話1本かけるにも事前のアポイントメントが必要なのか。
 企業の人事担当者はどう感じているのだろう。
 主に海外など遠隔地にいる就活生向けに、無料ビデオ通話ソフト「スカイプ」を使った面接も一部受け付けるなど、
採用活動にデジタルメディアを広く活用している携帯電話大手、ソフトバンク。
しかし、社会人になってから期待するマナーは違うようだ。採用・人材開発統括部の源田泰之統括部長は、
「チームでやる仕事が多いし、コミュニケーションスキルは仕事の成果にかかわる。
さすがに電話が全然できないのは困る」という。
 ある東証マザーズ上場のアプリ開発会社の人事担当者は「電話の対応はチェックする」ときっぱり。
面接やインターンシップ(就業経験)など、「よそ行き」の顔がいくらしっかりしていても、
電話のやりとりができなければ評価が下がるそうだ。
また、この会社はメールの返信の早さ、遅さなどの対応力も見ているという。
 その一方、「『未登録の03ナンバーは怪しい』と思われているのだろう」と、電話に出ない学生の行動に理解を示した。
着信履歴を見たらまず検索でチェックし、企業名を確かめてから折り返す、という動きは、
IT(情報技術)リテラシーの高い学生には当たり前の自己防衛なのかもしれない。
 どちらにしても、インターネット上にマニュアルが流布する今だからこそ、
メールや電話の対応力が「学生の素を見たい」という採用担当者にとって絶好の機会の一つとなっているようだ。
 マスコミに勤務する30歳代の女性は、送られてきたOG訪問の依頼メールに感心した。
「拝啓」に始まり「敬具」まで、非常に丁寧な文面だったためだ。ところが、実際に会ってみて、もっと驚いた。
「会ってみたら目をあわせてくれないし、ずっと、おどおどしていた。メールではしっかりしていたのに……」。
電話にかぎらず、面と向かっての対応が苦手、という学生は多い。

■「非通知」なんてありえない
 「学生は電話が苦手」と断言するのは、20年以上採用市場を見てきた就職情報大手、
マイナビ(東京・千代田)の栗田卓也HRリサーチ部長だ。
今どきの就活生は、LINEや フェイスブックの無料対話アプリ「メッセンジャー」など、
文字だけのコミュニケーションに慣れている世代だ。しかも、同世代の友人とのやり取りがほとんどなため、
「急に大人と接触する機会が訪れたり、電話で話そうとしたりすると緊張してしまう」(栗田部長)。
さらに、「非通知」の電話には出ないという学生が少なくないという。
 人事が番号非通知で学生に電話をかけてくることもままある。
採用現場の苦悩を描いた小説「あの子が欲しい」の作者、朝比奈あすかさんは、
「非通知での電話連絡は、できるかぎり情報を開示せず人を採りたい、という採用側の傲慢さが出ている」という。
 ただ、非通知は必ずしも故意とは限らない。栗田部長は「学生がつかまらないと嘆く人事に、
もしや『非通知では』と確認すると、意図せず設定されていた、というパターンがある。
オジサンはITに弱くて」と苦笑い。小さな確認もれで優秀な学生を取り逃がすケースもありそうだ。

■友人とのコミュニケーション、電話は1.3%
 マイナビが17年2月に18年卒の就活生を対象に実施した「ライフスタイル調査」では、
友人とのコミュニケーションに使うツールはなんと9割がLINEだった。一方、電話は1.3%とごくわずか。
スマートフォンの保有者は98.5%と「ほぼ全員持っている」状態だが、通話の頻度は少ないようだ。
 しかし、実際に日々仕事に向かうビジネスパーソンは誰もが
「『電話が苦手なので』では仕事にもならない」と即答するはずだ。
前述の栗田部長も、「電話のコミュニケーションに慣れていないのなら、就活で慣れたほうがいい」と進言する。
日々の仕事で必要なスキルだからこそ、面接官がチェックしている。
 学生諸君は「面接以外の場面でもチェックされているなんて」と負担に思わず、
この機会に「大人との電話コミュニケーション」を克服してはどうだろうか。
(松本千恵)

==============================================

私も電話は苦手だ。
今とは時代が違うが、はるか昔の大学生の就職活動での電話のやりとりもとても緊張した。
あらかじめ台本を作っておいたり、ひとりで練習したりもした。
予想外のことを言われたりすると、しどろもどろなってしまったりもした。
だから今の学生の気持ちもよくわかる。
今は非通知の電話に出ないことは、特別なことでもない。
携帯でも、固定電話でも非通知をはじく設定にしている人も少なくないと思う。
電話の対応力は必須という人事担当の人の言い分はもっともだが、
押し売り電話じゃあるまいし、せめて企業は非通知はやめてほしいと思う。

<円谷幸吉>国民の心打った英雄

河北新報より
<円谷幸吉>国民の心打った英雄

◎敗れざる人(1)今に生きる/駆け抜けた27年の生涯

冬の風物詩、東京箱根間往復大学駅伝。陸上の長距離走に親しむ者なら誰もが憧れる舞台だ。
今年、精鋭たちを率いた監督20人のうち5人までが福島県出身者だった。
 駒大の大八木弘明(会津若松市出身)、東洋大の酒井俊幸(石川町出身)、早大の相楽豊(郡山市出身)、
日大の武者由幸(相馬市出身)、国士舘大の添田正美(須賀川市出身)。
 ランナーに目を向ければ、往路4区で須賀川市出身の阿部弘輝(明大1年、学法石川高出)が疾走した。
 長距離と福島。関係性を考えていくと、ある人物の姿が浮き上がってくる。

<地元に夢引き継ぐ>
 円谷幸吉(1940~68年)。1964年東京五輪のマラソン銅メダリストで生まれと育ちが須賀川市。
メキシコ五輪が行われる68年の1月9日、所属する自衛隊体育学校(東京都練馬区)の宿舎で
右頸(けい)動脈をカミソリで切り、自死した姿で見つかった。
 時に、「明」よりも「暗」を強調される選手でありながらも、地元にはスポーツ少年団「円谷ランナーズ」や
「円谷幸吉メモリアルマラソン大会」があり、第2の円谷を育てようという夢が引き継がれている。
 箱根を走った阿部はここから巣立った。地元の岩瀬郡市陸上競技協会理事長の本田実(65)は
「(阿部が箱根駅伝を走り)階段を一つ上ることができた。いつか五輪選手が出ればうれしい」と感慨深げだ。
 なぜ、円谷の名は半世紀たった今も色あせないのか。
瀬古利彦や有森裕子らはどうして生家や菩提(ぼだい)寺にまで足を運び、冥福を祈るのか。
 時計の針を68年に戻す。社会全体は騒然としていた。ベトナム反戦運動が国内外で高まりを見せ、
全共闘が生まれて大学紛争が激しさを増した。この年、日本は国民総生産世界2位の経済大国になる一方で、
公害や交通戦争など高度経済成長のひずみも顕在化した。
 いわば「時代の転換点」での円谷の死だった。

<栄光のメダル重く>
 遺体発見時、都内在住だった姉、岩谷富美子(82)は小さな子をおぶって親族で一番に駆け付けた。
6男1女の末っ子幸吉とは6歳違い。最愛の弟の頬を両手で包み込み、
「泣きながらさすった時の冷たさを今も覚えている」。それは、頼れる人がいなかった円谷の心に触れた、ともいえる。
 当時の河北新報は円谷の死をこう伝えた。見出しは「重かった栄光のメダル」「故障続きにあせり?」。
東京五輪で国立競技場を埋め尽くした7万5000の大観衆の中、英国のヒートリーに抜かれ3位に後退。
レース後、「4年後のメキシコ大会を目指す」と国民に「約束」したことで、かえって円谷は呪縛に陥ったのか。
 期待の重圧に敗れ去っていく選手は、過去にも今にもあまたいる。
しかし、円谷は想像もできないほどの栄光を極め、やがて誰も経験したことのない挫折感に打ちのめされた。
人はそのことを知っている。だからこそ、あの「遺書」に胸を締め付けられ、涙する。



 戦後最大のイベント、東京五輪が生んだ英雄、円谷幸吉が亡くなって五十回忌を迎えた。
27年の短い生涯を駆け抜けた円谷の姿はわれわれに何を残すのか。(敬称略)
(宮田建)

◎円谷幸吉の遺書全文

【親族宛て】
(1枚目)
父上様 母上様 三日とろゝ美味しう
ございました、干し柿 もちも美味しうござい
ました、
敏雄兄、姉上様、おすし美味しうござい
ました、
勝美兄姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しう
ございました、
巌兄姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しう
ございました、
〓久造兄姉上様、ブドウ液、養命酒美味しう
ございました、又いつも洗濯ありがとうございました、
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き
有難とうございました、モンゴいか美味しうござい
ました。
正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳
(2枚目)
ありませんでした、
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、
ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、
ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、
恵子ちゃん、幸栄君、
裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になって下さい。

父上様 母上様 幸吉は、もうすっかり
疲れ切ってしまって走れません
  何卆 お許し下さい。
気が休まる事なく、御苦労、御心配をお
掛け致し申し訳ありません、
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました、

【体育学校上官宛て】
校長先生 済みません、
高長課長 何もなし得ませんでした、
宮下教官 御厄介お掛け通しで済み
ません、

企画室長、お約束守れず相済みません、

メキシコオリンピックの御成功を祈り
上げます、
 一九六八・一、

[つぶらや・こうきち]1940年5月13日、福島県須賀川町(現須賀川市)で出生。
同町の小中学校、須賀川高を経て陸上自衛隊に入隊。
八戸教育隊、第6特科連隊(郡山市)を経て、62年自衛隊体育学校特別体育課程の1期生として入校。
64年東京五輪の男子1万メートルで6位入賞、マラソンで銅メダル。65年河北文化賞受賞。
67年3月、中大第二経済学部(夜間)を卒業。
68年1月9日午前、体育学校幹部宿舎の自室で自死している姿で発見された。
命日は同8日。163センチ、53キロ(東京五輪代表選出時)。
【注】〓は「七」を3つ重ねた字

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201701/20170109_64025.html

真田丸

真田丸の最終回は、今一つだったかも。

さんざん番宣して盛り上げ、
サブタイトルなしとか、クランクアップ非公開とか
いろいろ期待させていた割には、肩透かしを食らった気分。

秘密にしたかったのは死に方?
通説で言われているように、追い詰められた後、雑兵に「手柄にせよと」斬らせて討ち死にしたのではなく
父直伝の手口で敵をおびき寄せて斬った後、自害した この部分なのだろうか。

それが駄目だったというわけではないが
あまり感動しない、すっきり感のない最終回だった。
不完全燃焼というかなんというか…
話の筋上では、「生き切った」のかもしれないが
信繁の燃焼感というか、生き切った感の描き方が(演じ方ではない)足りなかったからなのかもしれない。
はっきりと死を描いた人数も少なく、史実では死んだ人でも
ドラマ上でははっきりしなくてもやもやする。
ラストの正信、信之のシーンは良かったが。

でも一年を通して全体を振り返ってみると、結構楽しめた大河だったと思う。
同じく三谷氏作の大河の新選組!ほどではないものの、毎週楽しみにしてした。
去年のアレや官兵衛や江や天地人に比べれば、間違いなく面白い。
家康や昌幸等の周囲はとても良かった。

来年はものすごーくつまらなさそう。
つまらなくても、キャストが良ければ見るのだが、それもなし。
なんとなく顔が嫌いな某俳優も出るし
(官兵衛や新選組!にも出てたけどそのときは我慢してたが来年は出番が多そう)
(顔だけで言えば、今年の人もどちらかというと苦手だが)
おそらく見ない。
再来年もつまらなさそう。
西郷さん役の人が残念。原作・脚本の人もどちらも苦手。
再来年は、大河として成立するのかどうか。かといってコメディにするのも難しそうな感じ。
脚本の人には出来れば大河に手を出してほしくない。
しばらく大河は休みか。
ビフォーアフターも終了してしまったし
憂鬱な日曜日の夜をどう過ごすが、考えたい。


ところで昨日の記事で
黒田何某さんが出ていたドラマを未成年と書いたけど人間・失格だった。
今日の紅白の歌が決まったニュースでKinKi Kidsを見て、はっきり思い出した。
あ~この子達と出てたドラマだったと。



東北・北陸新幹線 仙台ー金沢で初の直通運行

東北・北陸新幹線 仙台ー金沢で初の直通運行
11月7日 12時35分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161107/k10010758401000.html

北陸新幹線が開業した石川県や富山県に、東北から観光客を呼び込もうと、
仙台と金沢を直通で結ぶ臨時の新幹線が、7日に初めて運行されました。
臨時の新幹線は、東北新幹線から北陸新幹線へ大宮駅で乗り換えることなく、直通で運行され、
今回初めて仙台駅と金沢駅の間を1往復します。

7日午前、ふだんは北陸新幹線を走る「E7系」と呼ばれる車両が仙台駅に姿を見せ、
新幹線を利用するツアー客およそ800人のほか、鉄道ファンなどが出迎えました。
群馬県から夫婦で来た50代の男性は「東北を走る北陸新幹線の車両に乗れるのでわくわくドキドキです。
たくさん写真を撮って、北陸ではとれたてのカニを食べてきたいと思います」と話していました。
臨時の新幹線は午前10時36分に出発し、途中の大宮駅では、進行方向が変わるため、
乗客が自分たちで座席の向きを反対にし、富山県の黒部宇奈月温泉駅や富山駅などに停車したあと、
金沢駅に午後2時半すぎに金沢に到着しました。
改札口では、ミス百万石や加賀友禅を着た着物姿の女性たちが乗客を出迎えました。
福島市から訪れた女性は「金沢まで乗り換えがないのはとても便利だと思いました。
駅では着物姿の女性に迎えられ感激しました。金沢を満喫したいです」と話していました。
このあと、乗客はそれぞれの目的地へバスで向かいこのうち、金沢市内を中心に観光する団体客は金沢城公園を訪れ、
国の重要文化財に指定されている石川門などについて、ボランティアガイドの説明を受けていました。
仙台から訪れた男性は「金沢城公園は、初めて来ました。直通新幹線で来られるならまた来てみたいです」と話していました。
また、添乗員の女性は「仙台と金沢が近く感じました。今後も直通新幹線が運行するのであれば、
お客さんに北陸も勧めたいです」と話していました。
JR東日本仙台支社の百々潤司営業部長は「今回のツアーが成功すれば、
次は北陸のお客様が東北に来てもらえるような催しも考えていきたい」と話していました。

<花春酒造>事業譲渡 新会社で経営再建へ

<花春酒造>事業譲渡 新会社で経営再建へ
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201609/20160930_62001.html

約300年の歴史を持つ老舗酒蔵の花春酒造(福島県会津若松市)は29日、
経営悪化などを理由に酒造事業を、地元ゆかりの経済人5人が出資した新会社に譲渡したと発表した。
新会社は社名を引き継ぎ、「花春」のブランド、従業員約20人の雇用を維持する。
社長には地元出身の出資者の一人で、幸楽苑ホールディングス(HD、郡山市)社長の新井田伝氏(72)が就いた。
花春は1718年創業でピーク時の1978年には37億円の売上高を記録。
日本酒市場の縮小や消費者の好みの変化で、主力の普通酒の不振が続いて経営が悪化。
東京電力福島第1原発事故の風評被害も重なり、昨年の売上高は約2億5000万円に落ち込んだ。
新会社は資本金3000万円。会津若松市神指町の工場で、これまで通り酒造りを続ける。
新井田氏は個人としての出資で、幸楽苑HDと新会社との間に資本関係はない。
旧会社は「神指興産」と名称を変更し、不動産売却などで総額約5億円の負債整理に当たる。
創業家の宮森泰介氏(59)が引き続き社長を務める。
会津若松市役所で記者会見した宮森氏は「倒産回避を目指したが、力不足だった。
より良い花春になるはずで(譲渡を)前向きに捉えている」と強調。
新井田氏は「営業次第で結果は出せる。売り上げを5億円に倍増するのは難しいことではない」と述べた。
福島県の日本酒は全国的に高い評価を受けているが、
6月には栄川酒造(磐梯町)が東京の食品関連会社の傘下に入るなど経営再建の動きが出ている。
2016年09月30日金曜日


花春のお酒は大好きなので寂しいニュース。
味は変わらず、今まで通りでいてほしい。

ひすい、「日本の石」に選定 日本鉱物学会の記念事業

ひすい、「日本の石」に選定 日本鉱物学会の記念事業
増田洋一
2016年9月24日18時41分

日本鉱物科学会は24日、ひすいを「日本の石(国石)」に選定した。
この日金沢市であった総会で、会員が投票して決めた。
学会の一般社団法人化に伴う記念事業の一環として企画された。
選考対象になっていたのは、日本で広く知られた国産の石で、
鉱物科学や地球科学の分野にとどまらない世界的にも重要性を持つ石。
学会は第1次候補の11種から、会員以外の意見も募って5種(花崗岩(かこうがん)、
輝安鉱、自然金、水晶、ひすい)に絞り込み、この日の投票に臨んだ。
第1回投票の上位2種で決選投票がおこなわれ、71票のひすいが52票の水晶を上回った。
ひすいが国石にふさわしい条件として、学会は
①日本でも採れる宝石として有名
②有名な緑に加えてラベンダー色などの多様性と半透明の風合い
③世界で最古のひすい文化(約7千年前)となったこと――などを挙げている。

ひすいは2008年に新潟県糸魚川市が「市の石」に、
今年5月に日本地質学会が「新潟県の石」に選んでいる。
糸魚川市の米田徹市長は「ひすいを郷土の誇りと宝としてきた糸魚川市、
また、北海道から九州にかけて点在するひすいの原産地を持つ地域にとって、
これ以上の喜びはありません」とコメントした。
一方、日本地質学会は、47都道府県の「県の石」を選んでホームページなどで公表している。
(増田洋一)

http://www.asahi.com/articles/ASJ9S5WZSJ9SUBQU00T.html

斎藤一の写真初公開=新選組で活躍-福島・会津若松

斎藤一の写真初公開=新選組で活躍-福島・会津若松
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091500744&g=soc

 幕末に新選組隊士として活躍した斎藤一の肖像写真など5点が、
福島県会津若松市の県立博物館で初めて公開されている。
これまで斎藤の鮮明な写真は見つかっていなかった。

 斎藤は1844年に江戸で生まれ、新選組の三番隊組長として池田屋事件などに参加。
沖田総司らと並び最強の剣士の一人とも伝えられる。
会津藩が新政府軍との戦いで敗色濃厚となる中、「(会津を去るのは)誠義にあらず」と戦い続けた。
その後、会津藩士の娘と結婚。警視庁に勤務し、1915年に没した。
 5点は、昨秋に見つけた子孫が今年7月に寄託。本人の肖像のほか、妻や息子と写った写真もある。
15日、同館を訪れた佐藤みち枝さん(62)は「最後まで会津を愛してくれていたのかなと思う」と
話していた。(2016/09/16-12:31)

しゃっくりの止め方

指を耳穴に、舌を引っ張る!?…しゃっくりの意外な止め方
読売新聞(ヨミドクター) 9月1日(木)12時10分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160901-00010001-yomidr-sctch


 しゃっくりがなかなか止まらず、呼吸が苦しくなったり話しづらくなったりして
いらいらした経験のある人も多いだろう。どういう仕組みで起き、どうしたら止まるのか。
 藤田保健衛生大学(愛知県豊明市)准教授で医師の近藤司さんによると、
しゃっくりは、肺を動かして呼吸させる横隔膜が強く収縮して
息が早く吸い込まれるのと同時に、声帯が急に閉じられる現象だ。
しゃっくりの役割は不明だが、生物が水中から陸上に上がり、
えら呼吸から肺呼吸に切り替わる過程で、肺に水が入らないよう気管を塞ぐ仕組みの名残という説がある。
 しゃっくりの際には「ひっく」という音が出る。「ひっ」は声帯が急に閉じようとする時の
声帯の振動音で、「く」は声帯が閉じて息が止まった時の音だという。
 なぜ、横隔膜の収縮と声帯の閉鎖が同時に起こるのか。
「しゃっくりの指令センターである延髄のしゃっくり中枢に、刺激が与えられるからです」と近藤さん。
 炭酸飲料を飲む、慌てて食べる、激しく笑う、せきをする――などの刺激が、
のどに分布する舌咽神経から、延髄のしゃっくり中枢へと伝わる。
延髄は横隔神経を通じて横隔膜を収縮するよう、迷走神経を通じて声帯を閉じるよう、同時に指令を出す。
 ただ、こうした刺激で常にしゃっくりが出るわけではない。
しゃっくり中枢は普段、GABA(ギャバ)と呼ばれる神経伝達物質により、
しゃっくりが出ないよう脳から抑制を受けているためだ。
「この抑制よりも刺激が強くなると、しゃっくりが起きる」と近藤さんは説明する。
一度起きるとすぐには止まりづらいのも特徴だ。
 抑制する力を減らす例としては、飲酒や一部の薬の服用などがあげられる。
また、子どもは大人に比べて発達が未熟で、GABAによる抑制が効かず、しゃっくりが起きやすいという。

指を耳穴に、舌を引っ張る!?…しゃっくりの意外な止め方
 しゃっくりは自然に止まるので、気にせずに待てばよい。
だが、会議や宴会であいさつをしたり、半日ほど続いて不自由を感じたりするような場合は
、「何らかの刺激を与えると、しゃっくりは止まりやすくなる」と近藤さんは助言する。
 近藤さんが薦める止め方は、人さし指を両耳に強く入れて30秒ほど押すか、
舌を30秒ほど引っ張る方法だ。「どちらも舌咽神経にしゃっくりを抑制する刺激が入ると考えられる」と話す。
このほか、誰かに驚かしてもらうというよく知られる方法も有効という。
ただし、いずれも絶対に止まるというわけではない。
また、ぜんそくや心臓病、脳卒中などの人はこうした刺激は避けた方がよい。
 しゃっくりが長引く場合は注意が必要だ。48時間以上続くと「慢性」、1か月以上だと「難治性」と分類される。
 慢性や難治性の場合、吐き気や 倦怠(けんたい)感、呼吸困難、不眠に悩まされることがある。
また、難治性の人が脳梗塞や悪性腫瘍などを患っている例もあるという。
「喫煙と飲酒が重なるなどの生活習慣が影響している場合があるので、見直してほしい。
それでもしゃっくりが1か月以上続くなら、病院に相談を」と近藤さんは話す。

斎藤一の写真見つかる 53歳当時、新選組生き残り

斎藤一の写真見つかる 53歳当時、新選組生き残り
2016.7.15 08:18更新
江戸時代末期に反幕派を取り締まった新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一について、
明治30年の1897年に妻や息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、
歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かった。
斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物とされており、これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しい。.
撮影当時、斎藤は53歳で、東京高等師範学校(現筑波大)に勤務。
家紋が入った羽織はかま姿で脚の上に帽子を置いて、同じく着物姿の妻トキヲと並んで手前のいすに座り、
その後ろには軍服姿の長男の勉と着物姿の次男の剛が立っている。
斎藤が住んでいた東京・本郷にある「写真師 中黒実」のスタジオで撮影したとみられ、
卵白を原料に使った縦約14センチ、横約10センチの鶏卵紙にプリントされている。
http://www.sankei.com/photo/story/news/160715/sty1607150004-n1.html





産経west より

2016.6.18 09:02更新
近藤勇の第一声は「御上意!」 これが〝誠〟の池田屋事件
 「手向かいすれば容赦なく斬る」ではなかった? 会津松平家資料に記録

 幕末の京都で、長州や土佐などの過激派志士が襲撃された「池田屋事件」の際、
2階に踏み込んだ新選組局長の近藤勇が発した第一声は、
将軍や主君の意思であることを示す「御上意」だった可能性があることが18日、
宮内庁宮内公文書館に保管されている会津松平家の資料で分かった。
 ドラマなどでは「手向かいすれば容赦なく斬る」と警告する場面が多いが、
今回の資料にこの言葉はなかった。これまで知られていなかった新たな言葉の登場は、歴史ファンの関心を呼びそうだ。
 資料は「維新階梯雑誌」で、会津藩主松平容保が京都守護職になった1862年以降の出来事を明治時代に編纂。
一部が引用されるなどして存在は知られていたが、31冊が同館にそろっているのを
埼玉県の歴史研究家、伊藤哲也さん(47)が確認した。
 1864年の池田屋の場面では、近藤が亭主とやりとりした後、2階に上がると、6、7人が車座になっていたと記述。
「座中を割って奥へ赴けば、一同(刀を)抜いて斬り掛かってきた」「此の方御上意と大音声で(叫んで)踏み込んだ」と続く。
後に近藤が「(相手は)御上意に恐れをなした様子。いまだ徳川のご威光は尽きず」と述懐したとも書かれている。

 これまでは、1階にいた幹部隊士で、大正まで生きた永倉新八の回顧録から、
近藤はまず「手向かい致すにおいては容赦なく斬り捨てる」と警告したとされてきた。
 新選組はこのころまだ目立った功績がなく、近藤は攘夷を実行しない幕府に失望し、
解散の意向を伝えるなど進退に悩んでいた。しかし、事件後ほどなくして西洋の軍事力の強さを知り、
佐幕の傾向を強めていったとされる。
 新選組研究の第一人者として知られる菊地明さんは「上意という言葉は初めて知った。
『手向かい致せば』も言っていたとしても矛盾はしないと思う。予想外に相手がひるんだので将軍の威光を見直し、
あくまで徳川が力を持つことで攘夷を目指す思想につながったのかもしれない。膨大な資料は大きな価値がある」としている。


池田屋事件 
1864年6月5日夜、京都三条の旅館「池田屋」に集まっていた長州や土佐、肥後などの
過激派志士20人ほどが新選組に襲撃され、10人以上が死亡、捕縛された事件。
新選組は会津藩などの援軍がないまま単独での突入を決意。
近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4人で踏み込み、その後土方歳三らの別隊が駆け付けた。
主に幕府側の資料によると、志士たちは京に火を放って天皇を長州に連れ去ることを企てていたとされる。
新選組は少人数で暴挙を阻止したとして一躍名を上げ、後に全員が幕臣に取り立てられるまでに至った。

http://www.sankei.com/west/news/160618/wst1606180029-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/160618/wst1606180029-n2.html

左向きのカレイ

カレイ
あれ?左向きだ 上越水族博物館で展示
毎日新聞2016年6月14日 20時35分(最終更新 6月14日 21時45分)
http://mainichi.jp/articles/20160615/k00/00m/040/061000c

 「左ヒラメに右カレイ」−−。ヒラメとカレイの見分け方の常識を覆す「左向き」のカレイが新潟県内で見つかった。
同県上越市立水族博物館がホルマリン標本にし、今月11日から展示している。
 同館によると、今月1日に同県糸魚川市の鮮魚店から「変わった魚が揚がった」と連絡があった。
職員が確認したところ、ヤナギムシガレイ(体長約20センチ)だったが、まさかの左向きだった。
 地元ではおなじみの魚で、腹を手前にすると目が右側に来るはず。県水産海洋研究所の担当者も
「見たことがない。理由は不明」と首をかしげるばかり。来館者の目をくぎ付けにしそうだ。【浅見茂晴】

杉田水脈のなでしこリポート(4)

2016.5.6 11:30更新
【杉田水脈のなでしこリポート(4)】
熊本地震で生かしたい阪神大震災の経験 懸念されるのはピース・ボートなど左翼団体の暗躍です

4月14日に発生した熊本の震災で犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、
被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。
私が27歳の時に阪神淡路大震災がありました。神戸の実家は全壊。
すでに結婚して大阪に住んでいましたが、西宮市入所2年目で、未曽有の大被害を前に途方にくれたことを思い出します。
それでも当時はまだ若かったので、文字通り「不眠不休」で働きました。
お役所のやることはよく「前例踏襲」「横並び」といわれますが、踏襲する前例もなく、他県他市も経験したこともない事態。
ベテランから若手まで、状況を見て現場で即判断、即行動、その繰り返しです。
判断基準は「目の前の被災者の方にとって何が一番か?」。
当然、責任は自分で撮る覚悟で腹を括らないといけません。
のちにこの時の「心の葛藤」の事例を広く集め、神戸市の職員と京都大学のコラボレーションによって
「クロス・ロード」というゲームが開発されました。現在、地域の防災意識を喚起するために全国で活用されています。
また、この時に初めて、自衛隊の皆さんの活躍を間近に見ることができました。
兵庫県知事からの支援要請が遅れたことと、当時はまだ自衛隊の車両は国道しか通行できないなど、
動きに制限があった中でも彼らの働きは素晴らしかったです。
救援物資を運ぶのも炊き出しを行うのも慣れた手つきでてきぱきと行われます。
いつ起こるかわからない自然災害に備えて、
自衛隊の皆さんは普段からいったいどれだけの鍛錬を積んでいらっしゃるのだろう
そう思っただけで胸が熱くなりました。

今回の震災でも全国から集まった自衛隊員は命がけで住民救助活動を行いました。
どれだけの命が自衛隊員の手で救われたでしょう。21年前を思い出してまた感謝の気持ちが膨らみました。
私が震災経験者としていつも言っているのは、初動態勢の時はそれぞれのプロに任せるべきで、
素人の県外ボランティアは現地入りを控えたほうがよいということです。
私が働いていた西宮市の現市長、今村岳司氏もおっしゃっています。
例えば急にボランティアで駆けつけて「お手伝いできることはないですか?」と言われても、
被災地自治体に「その人の対応をする」という仕事を増やしてしまいます。

例えば被災地に突然何かを送っても「置き場所を確保するなどの対応」という仕事を増やしてしまいます。
被災地はたいへんな混乱の中で、被災地行政職員を中心に不眠不休の対応をとっております。
「混乱を収拾する」ことこそが最大の仕事になっています。被災地に「人命救助」を最優先させてあげてください。
「被災地を混乱させないこと・仕事を増やさないことが今できる最大の支援」(今村岳司西宮市長フェイスブックより)なのです。
それでも、被災地に向けてなにかしたいと思っている方もたくさんいらっしゃると思います。
今私たちにできること。それは、「今やるべきことを一生懸命やること」です。
仕事かもしれません。勉強かもしれません。子育て中のお母さんはお子さんにいっぱいの愛情を注いであげてください。
介護をしていらっしゃる方は親御さんを大切にしてあげてください。それが被災地支援につながります。

よく「自粛モード」ということで、イベントなどを中止するところがありますが、私は予定通りにやった方がよいと思います。
日本の一地域が被災して全く機能しない。これをその他の地域でカバーしなくてはいけません。
また、これから復興には多大なお金がかかります。大事なのは経済活動です。
被災地の分も私達が頑張って回していかなくてはなりません。
イベントを中止して損失を出すより、予定通りに実施して、少しでも被災地に為に寄付をした方がいい。
そして、イベントの冒頭に黙祷を行って犠牲者の方々のご冥福を祈りましょう。
被災地で愛する人や土地を失った方々のことに思いを馳せ、
そして不眠不休で任務に当たっていらっしゃる自衛隊や消防、救助隊、行政の方々に「お願いします!」の
思いを胸に今日もお仕事、頑張りましょう!

さて、ここからはその被災地に押し掛ける困った人の話をしたいと思います。
宮城県石巻市に視察に行ったとき、案内をしてくださった自民党の市会議員さんから聞いた話です。
ピースボートという団体が仮設住宅の自治会に入り込んで、自立しようという被災者に対して
「いや、自治体にこんな要求をしたら、お金がもっと取れますよ」とレクチャーしており、
現地の良識ある被災者や行政担当者はとても迷惑しているというのです。
阪神淡路大震災の事例も引っ張り、「神戸の仮設住宅に入っていた被災民の話を聞きに行きましょう」と
お金を出して神戸まで連れて行っているそうです。
阪神淡路大震災が起きた頃は、生活支援法が無かったので、自立再建するしかなかった。
自己資金でみんな再建したのです。
今は支援法もあって、お金も貰っているのに自立しようとせず、被害者利権を振りかざす。
交通事故の時に最初はそうでもなかったのに周りの人からいろいろ入れ知恵されて
どんどん要求がエスカレートするなんてことがあります。それに似ています。
その指南を左翼団体が行っているのです。
生活保護の受給をあっせんするなどというこれまで培ったスキルを駆使して、
言葉巧みにお金を貰うことだけを吹き込むのが左翼です。
このピースボートとは、全国の店舗などにポスターを貼っている地球一周船の旅のピースボートです。
私は、衆議院議員時代、震災復興委員会でこのことを取り上げて質疑を行いました。
このピースボートという団体の欺瞞性を暴き、その上で石巻の現状を問いました。
すると「このピースボートとそのピースボートは違います」みたいな答弁が返ってきたんです。
民進党の辻元清美氏が学生時代に始めたというみなさんおなじみの世界一周のピースボートと、
石巻に入り込んだピースボートとの関連性は認められませんという答弁です。
同じ名前を使っているし、そもそも船旅のピースボートのホームページを見たら、
石巻へボランティアに行きましょうと記されています。
それなのに「別団体で登録されています」といって、うまく逃げられました。
復興庁としては、こちらの追及も交わしたいわけです。私の言っていることを認めて
「これはそうですね」と言ったら次は「なんとかします」となる。
そんなこと言ったら、自分の仕事が増えるだけだから「なんとかします」という答弁はしたくないわけです。

その結果、どうなったか?
すでに熊本にピースボートが乗り込んでいます。自然災害に対する左翼の動きはとても速いです。
西宮市職員時代、水害が出た地域に泥出しボランティアで行ったことがありますが、
いち早く共産党の議員が来ていました。本当に共産党は一番に現地入りします。
何をしているかというと一軒一軒とインターホンを押して「何か困ったことないですか。
困ったことがあったらここに来てください、電話してください」ってビラを配っているのです。
別に長靴履いて泥出しをしているわけではありません。
人の不幸につけこんで政治活動やっているわけですが、共産党をはじめとする左翼の人たちはそれを徹底的にやります。
少しでもこの実態を明らかにして、彼らが震災利権に食い込むのを止める。
それも我々良識ある保守派の使命だと思っています。

■杉田水脈(すぎた・みお) 昭和42年4月生まれ。
鳥取大農学部林学科卒。西宮市職員などを経て、平成24年に日本維新の会公認で衆院選に出馬し、初当選。
平成26年に落選後は、民間国際NGOの一員として国際社会での日本の汚名を晴らすため活動を続けている。
好きな言葉は「過去と人は変えられない。自分と未来は変えられる」。


http://www.sankei.com/affairs/news/160506/afr1605060009-n1.html

動物園から脱走のチンパンジー、2時間後捕獲

動物園から脱走のチンパンジー、2時間後捕獲

電線を通じ、電柱から電柱を移動するチンパンジーのチャチャ
160414.jpg

14日午後1時20分ごろ、仙台市太白区の八木山動物公園で飼育している
オスのチンパンジー・チャチャ(体長約160センチ)が脱走した。
チャチャは動物公園正門から東に約200メートル離れた電柱によじ登り、
電線を伝ってさらに逃走を図ったが、約2時間後に捕獲された。
動物公園を管理する仙台市によると、脱走を確認したのは同日午後1時20分ごろ。
同2時10分、安全確保のため臨時閉園した。けが人はなかった。
現場には動物公園の職員十数人をはじめ、110番で駆け付けた警察や消防が出動し、
共同で捕獲作戦を展開。職員が麻酔銃を撃ち、同3時15分ごろ、電線から落下したチャチャをネットで捕獲した。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201604/20160414_13061.html
http://photo.kahoku.co.jp/graph/2016/04/14/01_20160414_13061/001.html

「朝日新聞が『捏造』を報道」「20万人も混同」…政府が国連委でようやく反論 

2016.2.17 10:00更新
「朝日新聞が『捏造』を報道」「20万人も混同」…政府が国連委でようやく反論 
http://www.sankei.com/world/news/160216/wor1602160061-n1.html

【ジュネーブ=田北真樹子】日本政府は16日午後(日本時間同日夜)、
国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で慰安婦問題に関する事実関係を説明した。
 政府代表の外務省の杉山晋輔外務審議官は強制連行を裏付ける資料がなかったことを説明するとともに、
強制連行説は「慰安婦狩り」に関わったとする吉田清治氏(故人)による「捏造(ねつぞう)」で、
朝日新聞が吉田氏の本を大きく報じたことが「国際社会にも大きな影響を与えた」と指摘した。
また、「慰安婦20万人」についても朝日新聞が女子挺身隊を「混同した」と説明した。日
本政府が国連の場でこうした事実関係を説明するのは初めて。
 杉山氏の発言はオーストリアの委員からの質問に答えたもの。
この委員は、これまでの同委員会やほかの国連の委員会からの最終報告が
元慰安婦への賠償や加害者の訴追などを求めていることを指摘、被害者中心の対応について質問した。
 杉山氏は昨年末の日韓外相会談で、慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決することで合意したことを説明した。
 その上で、強制連行が流布された原因は吉田清治氏が執筆した本で
「吉田氏自らが日本軍の命令で韓国の済州島において大勢の女性狩りをしたという事実を捏造して、発表したため」と指摘した。
 吉田氏の本の内容が「朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、
日本韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」とも述べ、
内容は「複数の研究者により完全に想像の産物であったことがすでに証明されている」と明言した。
 また、朝日新聞が2014(平成26)年に「事実関係の誤りを認め、正式に謝罪した」と説明した。
 「慰安婦20万人」についても、杉山氏は「具体的な裏付けがない数字」として、
朝日新聞が謝罪した際に労働力として動員された女子挺身隊と慰安婦を混同したことを認めている点も説明した。
「性奴隷」との表現についても「事実に反する」と強調した。
 一方、杉山氏は、慰安婦問題は日本が女子差別撤廃条約を締約した1985(昭和60)年以前のことで、
同条約は締結以前に生じた問題については遡(さかのぼ)って適用されないことから
「慰安婦問題を同条約の実施状況の報告で取り上げるのは適切ではないということが、
日本政府の基本的な考え方だ」とも述べた。

建国記念の日関連ニュース

2016.2.11 05:02更新
【主張】
建国記念の日 政府自ら祝典を開催せよ
http://www.sankei.com/column/news/160211/clm1602110001-n2.html

 大きな節目となる50回目の「建国記念の日」を迎えたが、今年もまた、国として祝う式典は開かれない。残念というほかない。
 日本の建国は神話的な伝説に基づいている。新しい国づくりを目指して日向国を出た神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は瀬戸内海を東進し、難波、熊野へと至る。やがて大和を平定すると橿原(奈良県)を都と定め天下を統治することになった。
 古事記や日本書紀がつづる初代神武天皇即位の物語である。
 明治6年、政府は即位の日を現行暦に換算した「2月11日」を紀元節と定めたが、先の敗戦後はGHQ(連合国軍総司令部)によって廃止された。建国記念の日として復活するのは昭和42年で、祝日法には「建国をしのび、国を愛する心を養う」と明記された。
 半世紀を経て、法の趣旨が十分に浸透しているかは疑問である。戦後の学校教育では、神話や建国の歴史が皇国史観や軍国主義につながるとして避けられてきた。自国の歴史を否定する自虐まみれの教育で、どうして青少年の健全な愛国心を育てられよう。
 日本の建国の日を知っている日本人は2割にも満たないとの調査結果もある。神話はそっくり史実ではないにしろ、先人の国づくりへの思いや日本人としての生き方がうかがい知れる、いわば民族の貴重な遺産なのである。
 自国のそのような遺産を誇りに思わない国民が国際社会から評価されようか。学校教育を含めた国の役割は極めて重大だといわざるを得ない。
 昨秋、大阪で開催された交声曲「海道東征」のコンサートで、大きなホールが聴衆の感動に満たされたことを改めて想起したい。北原白秋作詩、信時潔作曲によるこの曲は、壮大な建国の歴史を格調高くうたいあげたものだ。
 新保祐司・都留文科大教授は、「(聴衆は)自分という人間が、日本の建国の歴史に精神の深みで繋(つな)がっていることに覚醒して、魂の感動を覚えた」と評した(昨年12月1日付本紙「正論」)。
 いま国内外で直面している幾多の困難を乗り切るためにも、日本人としての誇りを抱き続けるこれら国民の熱い思いに、政府は真剣に応えるべきではなかろうか。政府が直接関与する祝典の開催が、まず何よりも望まれる。

 --------------------------------------

建国記念の日 各地で祝う式典や反対する集会
2月11日 18時38分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160211/k10010406011000.html

建国記念の日の11日、これを祝う式典や、反対する集会が各地で開かれました。
このうち東京・渋谷区の明治神宮会館では、神社本庁などで作る「日本の建国を祝う会」が式典を開き、主催者の発表でおよそ1200人が参加しました。
主催者を代表して國學院大学の大原康男名誉教授があいさつし、「世界各国で国民が建国記念の日を祝っており、わが国でもできるだけ早く政府主催の式典を開催して、国を愛する心を育てるべきだ」と述べました。そして「5月には三重県の伊勢志摩でサミットが開催され、世界に向けて日本のすばらしい精神性を発信する絶好の機会となる。誇りある国づくりへ向けて一層力を尽くすことを誓う」などとする決議が採択されました。
一方、東京・中央区では、歴史の研究者や歴史教育に携わる教職員など、主催者の発表でおよそ350人が参加して建国記念の日に反対する集会が開かれました。講演した千葉大学の栗田禎子教授は、「安全保障関連法を巡って戦争を直接知らない若い世代が平和憲法を守ろうと立ち上がったことは、戦争ができる国にしようという勢力にとって大きな誤算だったはずだ。憲法を守る戦いは今が集大成の時だと自覚することが大切だ」と述べました。
この後、集会では「憲法を礎に歴史の逆流を許さず平和なアジアと世界をつくり、立憲主義、民主主義に基づく新しい未来をひらこう」などとするアピールが拍手で採択されました。

 --------------------------------------

2月11日は建国記念日。ではいったい何を「建国」した日?
2016.02.11 雑学
http://nikkan-spa.jp/1051487

 今日、2月11日が「建国記念の日」であることは知っているでしょう。では、なぜ2月11日が「建国記念の日」になったのでしょうか? 『基礎教養 日本史の英雄』(倉山満+おかべたかし/扶桑社刊)は、20人の英雄譚を通して日本史を学ぼうという本ですが、その骨子は「僕たちは、教えられるべき歴史を、教わってこなかった」ということにあります。このように書くと、眉毛に唾する人もいると思います。しかし、「どう考えても教えるべきなのに、教えてこなかったこと」は歴然とあるのです。著者のおかべ氏は「その一端は、建国記念の日にも表れています」と言います。
「2月11日は、祝日である。休みである。これは誰でも知っている。でも、『何の祝日?』と問われれば『建国記念の日』と答える人もたくさんいるでしょうが、『建国記念の日は、何をもって定められたのか?』と問われると、多くの人が答えられない。これを学校で教わったという人は、ほとんどいないと思います」

――確かに、なにをもって「建国」なのでしょうか?
「堀井憲一郎さんの『ねじれの国、日本』(新潮新書)という本に、若者に《「建国記念の日」というのがありますが、日本の建国というのは、いつを指しているんでしょうか》という聞き取り調査した話が載っています。そこにはいろんな答えがありました。『鎖国解除の日?』『明治政府が近代国家宣言をした日?』『日本が民主主義になった日?』『天孫降臨の日?』などなどなど。習っていないから、答えがバラバラ。どう考えても自分の国にとって、大事そうな日なのに、なぜ休みなのかを教えない。堀井さんはこう続けます。《アメリカの独立記念日、フランスの革命記念日を聞くと、知っている。それは授業で教えるからだ。日本の紀元は教えず、アメリカフランスの紀元は教える。それが日本の基本的な態度である》と。このように『教えるべきであろうに、教えてこなかったこと』があるのです」

――2月11日は、「神武天皇が初代の天皇に即位した日」です。
「この『初代天皇は神武天皇』ということも、ほとんどの人が習ってこなかったはずです。推古天皇は33代、桓武天皇は50代、後醍醐天皇は96代。こう言及するのに、初代の名前には触れないのです。大雑把にいえば、戦前は天皇に対する教育が行きすぎたから、戦後はあまり触れないようにしている。なんとなく、戦前はみんな悪く、戦後はみんないい。そんな雰囲気の歴史教育が行なわれてきたのです。『教わってこなかった、知るべきこと』を英雄の物語を通して知っていこうというのが『基礎教養 日本史の英雄』のひとつの骨子です。英雄は全部で20人。時代順に出てきますが、最初に登場するのは、もちろん初代天皇の神武天皇です」
「日本史の英雄」と聞いて誰を想像するだろうか。織田信長、豊臣秀吉ら戦国武将や、坂本龍馬、西郷隆盛といった幕末の志士たちだろうか。しかし、建国の祖である神武天皇を想起する人は少ないだろう。明治6年に定められた建国記念日は、神武天皇が即位した日を「紀元節」としたものが、戦後にはGHQの意向で廃止され、ようやく復活したのは昭和41年になってから――。2月11日は、そういった「歴史の断絶」について考えてみるのもいいかもしれない。 <取材・文/日刊SPA!編集部>

国歌「君が代」不起立で減給処分は適法 58歳教諭の訴えを棄却

国歌「君が代」不起立で減給処分は適法 58歳教諭の訴えを棄却

 卒業式で君が代を起立斉唱しなかったことを理由に減給処分を科したのは違法だとして、
大阪府立支援学校の教諭、奥野泰孝さん(58)が府に処分取り消しなどを求めた訴訟の判決が21日、
大阪地裁であり、内藤裕之裁判長は原告の請求を棄却した。
 大阪府では橋下徹氏が知事だった平成23年6月に、府内公立学校の教職員に、
行事の際の国歌の起立斉唱を義務づける全国初の「国旗国歌条例」が施行。
訴訟で原告側は同条例が「思想・良心の自由を侵害している」として違憲・違法性を訴えていた。
 判決によると、奥野さんは平成25年3月にあった同校の卒業式で、
キリスト教徒であることなどを理由に国歌の起立斉唱をしなかった。
前年の卒業式でも不起立を理由に戒告処分を受けており、府は「違反行為を繰り返した」として、
より重い減給1カ月の懲戒処分としていた。
 判決理由で内藤裁判長は過去の最高裁判例に基づき
「公立学校の式典における国歌の起立斉唱は慣例上の儀礼的所作で、
個人の思想・良心の自由を直ちには制約しない」と判示。
起立斉唱を求めた校長の職務命令や、その根拠となった同条例の違法性を否定した。
 減給処分についても「卒業式の受け付け業務を放棄して勝手に式場に立ち入り、
上司の退場指示にも従わなかった」として重すぎるとはいえないと述べ、適法と結論づけた。
 府教委によると、府条例施行後に処分された教職員は戒告処分54人▽減給処分2人。
これまでに延べ12人が処分取り消しを求める訴訟を起こしている。

http://www.sankei.com/west/news/151221/wst1512210054-n1.html


キリスト教徒を理由に国歌を否定するというのはおかしいのでは?
歌わないことはともかく、
>卒業式の受け付け業務を放棄して勝手に式場に立ち入り、上司の退場指示にも従わなかった
これは明らかに示威行為だと思う。
個人の思想や信条は自由だけど、こういう人は最初から公立校ではなく
キリスト教系の学校や外国人学校(反日国)の教師にでもなればよかったのでは?

ひとりごと

虫唾が走るほど気持ちが悪かった大河「花燃ゆ」がようやく終わった。
 ↑ だったら見るなと言われそうだか、つい見てしまった。
ながら見だが。

八重の桜の著しい劣化版だった。
伊之助と文の距離が最初から近すぎた。
松陰が生きていたあたりはまだ良かったが
後半のつまらなさ、捏造の酷さ、気味悪さは
(私が見た)歴代大河ワースト1。

北の湖

憎たらしいほど強かった名横綱北の湖がお亡くなりになった。
つい二日ほど前、猫だましを使った白鵬に苦言を呈したばかりだったのに。
ご冥福をお祈りいたします。

北の湖…嫌いではなかったけど、負けると大喜びしていた。
あれはなぜだったのだろう。
私は子供の頃、よく相撲をテレビで観ていた。
輪島の晩年の頃から若嶋津引退まではほとんど欠かさず。
だから北の湖も強く記憶に残っている。
強かったが、朝潮などにはあっさり負けていた。
場内は座布団を投げる人がいっぱいいて、私もテレビの前で投げて喜んでいた。

北の湖のエピソードの中で好きなのは
地方巡業中だったか、北の湖が丸のままのりんごをかじりながら歩いていたらファンにサインを求められ
そのりんごを口にくわえたまま、苦しそうな顔でサインに応じ、握手もしたという話。
まじめな人だったらしい。
北の湖は現役時代よりも、理事長時代よりも、解説時代のほうがいい。
厳しいことも言うが、よく見て的確なことを言っていたように思う。


ところで、「猫だまし」を昔、家の猫にやってみたが
特に反応しなかった。

「あさが来た」に大河ドラマ「新選組!」

朝ドラ「あさが来た」に大河ドラマ「新選組!」の
テイストが持ち込まれたわけをプロデューサーに直撃した
木俣冬 | フリーライター 2015年11月3日 8時0分配信
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimatafuyu/20151103-00051070/

9月末からはじまった連続テレビ小説『あさが来た』は、
朝ドラ初の幕末を舞台にしたドラマなのものだから、
登場人物たちが和装で、大河ドラマのような雰囲気が漂っている。
大久保利通(柏原収史)や五代友厚(ディーン・フジオカ)などの実在の人物も登場する中、
第3週のタイトルは『新選組参上!』で15、17話に土方歳三が登場した。
それが、2004年の大河ドラマ『新選組!』で土方を演じた山本耕史で、
当時の決め台詞「待たせたな」とまで言うものだから、『新選組!』ファンは大喜びした。
この特別出演に関して、山本が、10月23日の夕刊フジのインタビューで、
「(前略)三谷さんに台本を見せたら、そのシーンの部分だけ書き下ろしてくれたんです」と語っていたため、
『新選組!』の土方ファンはますます盛り上がった。
三谷さんとは、当然、脚本家の三谷幸喜である。『あさが来た』の脚本家は大森美香。
彼女が書いた脚本の一部を三谷が? ほんとうだとしたら、奇跡的過ぎるコラボではないか。
だが、この件、当の朝ドラの公式サイトやTwitterでまったく触れられていない。
もし本当だったらお知らせしてくれても良さそうなものだ。
なにしろ、NHK大阪の広報Twitterの情報提供は細やかで、
第1話放送時、主人公・あさ(波瑠、1話は子役・鈴木梨央)と
許婚・新次郎(玉木宏)は何歳違いなのかと話題になるとすぐに回答していたのだ。

そこで、ストレートにNHK大阪の宣伝部に連絡してみると、
『あさが来た』のプロデューサー佐野元彦氏が事情を説明してくれた。
「実際、変更を加えたのは、主に語尾や副詞なんです。リハーサルをしているときに、
山本さんが、できるだけ当時の『新選組!』に台詞を近づけたいと希望されたので、
大森美香さんの作家性を損なうことのない程度の変更を行いました。
例えば『幕府再興のためじゃ』を『幕府再興のためだ』に、『むろん返す』を『金は返す』に変更しています。
山本さんが言うに、三谷さんの書いた土方は『~~じゃ』とか『むろん』など
固い言葉を使わないということだったんです。
やはり、1年近く土方を演じてきた方ですから、一番、役をわかっています。
実際、語尾を変えただけで、僕自身も『おお、土方だ!』と思いました」
なるほど。新選組が加野屋にお金を借りに来て、あさが毅然と立ち向かう、
あさのキャラクター性が出ている重要な場面自体は
、『あさが来た』の脚本家・大森美香の筆によるものだったようだ。
そこへ、山本によって、三谷幸喜版・土方の持ち味が取り入れられたというところだろうか。
ともあれ、朝ドラでは、時々、過去の朝ドラと関連するものを登場させる遊び
(前作に登場したお店の名前や過去のドラマのヒロインを写真出演させるなど)を行っているから、
大河ドラマのオマージュが行われてもおかしくない。
来年、再び三谷が筆をとる大河ドラマ『真田丸』へのエールにも感じられた楽しい場面だった。

『あさが来た』は、主人公・あさの真っすぐな明るさや世の矛盾に
「なんでどす?」と疑問をもっていく姿勢に好感度が高く、
彼女を支える昼行灯のような旦那さま新次郎も魅力的で、視聴率も順調に上がっている。
脚本や演出の盤石さに、今回のような遊び心も加え、守りも攻めもという意欲が感じられる。

<宮城豪雨>水位急上昇、車押し流す 栗原

<宮城豪雨>水位急上昇、車押し流す 栗原
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201509/20150912_13016.html

 丸太に引っ掛かり動けなくなった車が、濁流に押し流された。
宮城県栗原市栗駒猿飛来で11日午前、近くを流れる三迫川からあふれ出した水に巻き込まれ、
軽乗用車を運転していた同市栗駒の高橋ひとみさん(48)が死亡した事故。
たたき付けるような豪雨に見舞われた同市内の河川では、同日未明、急激に水位が上がったとみられている。
 近所の女性(57)によると、10日夜は自宅から200メートルほど離れた場所を流れる三迫川に異常を感じなかったが、
11日午前4時ごろ自宅裏を見回ったところ、敷地より1.5メートルほど低い牧草畑や水田が冠水していたため、
急いで家族3人で避難した。
 夜が明け、午前8時半ごろ自宅に戻ると、周辺に消防車などが数台止まっていて、ボートを出して捜索活動をしていた。
高橋さんは間もなく、車内で亡くなっているのが確認されたという。
 同市栗駒稲屋敷の県道を通っていて行方不明となった軽トラックの男性(62)=同市鶯沢=は、
近くの熊川からあふれた水に流されたとみられる。
 近所の女性によると熊川流域は、周囲より標高が低く、11日未明には数百メートルにわたって一帯が冠水していた。
女性は「ずっと向こうまで水がたまって池か沼のようになっていた。怖かった」と話した。

新選組の斎藤一、謎多き経歴に光 維新後の従軍など新史料

新選組の斎藤一、謎多き経歴に光 維新後の従軍など新史料
2015/9/5 12:26
西南戦争で右肋骨に銃撃を受け、警視庁では中間管理職の警察官――。
幕末に活動した新選組の生き残りとして知られながら、史料が少なく、
謎が多いとされる斎藤一の明治維新後の従軍歴などが5日、
国立公文書館が所蔵する明治時代の恩給関係の文書で明らかになった。
歴史研究家のあさくらゆうさん(46)が公開請求した。
文書は、退職公務員の恩給請求書などをまとめた「明治廿六年官吏進退恩給二」の文官恩給の部。
斎藤は警視庁を退職翌年の1893年1月19日付で、警視総監宛てに申請した。
丁寧な文字で書かれた「西南之役従軍履歴」などは直筆とみられ、
維新後から使った「藤田五郎」の名前で、押印もある。
これによると、斎藤は77年2月20日に内務省の警視局で警部補となり、
同5月17日に「警視第二番小隊半隊長」として西南戦争へ従軍。
4日後の同5月21日に大分県の嵯峨へ着き、
同7月12日に大分県の高床山で弾丸により右肋骨を負傷すると、陸軍の出張病院へ入院した。
部隊復帰は同8月15日で、戦闘終結後の同10月24日に臼杵で乗船。
帰京後の79年10月8日に勲七等を与えられた。
81年の警視局廃止後は、陸軍省の御用掛に。
警視庁の設置で、同年11月11日に巡査部長となり、
翌年12月に月給が12円から15円へ昇給した。
階級は85年7月3日に警部補、88年11月1日に警部へ上がり、92年12月14日に退職。
当時48歳で「官ノ都合ニ依リ諭旨」とあり、16年間の勤務に対する恩給は年46円だった。
これらは妻のトキヲが斎藤の死亡後、
遺族年金に当たる「文官扶助料」を申請した書類にも記されていた。
斎藤は後に東京高等師範学校(現筑波大)や東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)で
守衛や会計などの仕事に就いたが、この間の恩給の請求記録はなかった。
恩給関係文書からは、斎藤がトキヲと結婚した年月日も新たに判明した。
一般的にトキヲとは再婚だったと認識されているが、最初の婚姻だった可能性が高い。
文書は文官扶助料の請求書をまとめた「大正五年恩給文官扶助料十五巻六十一」。
妻トキヲも斎藤の死亡翌年の1916年に申請していた。
これによると、明治維新後に「藤田五郎」と名乗った斎藤は、
1874年3月17日にトキヲと結婚。戸籍はトキヲを「妻」とし、再婚を示す記載はなかった。〔共同〕
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG04HA8_V00C15A9CR0000/

伊勢神宮の参宮犬石碑 宮城で発見

河北新報
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150804_15005.html

 三重県の伊勢神宮に参拝した犬の石碑が宮城県栗原市金成の寺院、
龍国寺の参道にあるのを、動物信仰などを調べている宮城県村田町歴史みらい館副参事の石黒伸一朗さん(57)が見つけた。
明治初期に建立された可能性がある。参宮犬の石碑は全国でも珍しく、東北地方で唯一とみられる。
 石碑は高さ53センチ、幅25センチ、厚さ13センチ。中央に「白毛犬参宮」と大きく彫られ、
右に「明治六酉(とり)年七月廿(以下不明)」、左に「飼人菊池新(同)」と書かれている。
「菊池家で飼っていた白い毛の犬が伊勢神宮まで行き、戻った記念に石碑を建てた」と石黒さんは推測する。
 江戸中期から明治初期にかけ、お伊勢参りが全国で流行。経済的理由や病気、高齢で出向けない場合、
飼い犬に願いを託して参拝させた。白い犬が選ばれた例が多く、目印の木札を首に提げ、伊勢神宮のお札を持ち帰った。
道中は見知らぬ人に宿場から宿場まで案内してもらい、宿場では食事の提供を受けたという。
 青森県から伊勢に向かった参宮犬がいたと記す古文書があるが、
宮城県内では江戸末期に岩沼市で見たという文献が1例あるのみ。参宮犬の石碑も東日本では山梨県に1基あるだけだった。
 今回の石碑は宮城県北部で調査している知人から連絡を受けた石黒さんが調べた。
 石黒さんは「参宮犬の石碑は少なく非常に貴重。途中で行方不明になった犬も多かったと想像でき、
神聖な場所から戻った犬をたたえたのだろう」と話している。
2015年08月04日火曜日

NHK時代劇なんだりかんだり


かぶき者慶次
ちゃんと熱心に観ていたわけではないけど
わりと面白かった。
少なくとも、その時間にテレビをつけておこうという気にはさせた。
最終回だけはちゃんと観たが
原案:火坂雅志 作:小松江里子 と知ってびっくり。
とんでもなくつまらなかった大河、「天地人」と同じ組み合わせだ。
木曜時代劇という枠で、短期間ならばこの組み合わせでも視聴に堪えるということか。

木曜時代劇はほとんど観ないのだが、
去年の同時期にやっていた銀二貫もまあまあ面白かったと思う。
その間の1年間は全く観ていない、興味もわかなくてその時間にテレビもつけていなかったので
面白いものがあったかどうかもわからない。


それより
花燃ゆはいよいよだめだ。
久坂役の人が、どうしても受け付けない。
主役の文の存在意義もわからない。
もともと、長州は好きではないが
早く死んでほしいと思ってしまう久坂は初めて。

久坂は大抵の場合、暑苦しくて鬱陶しい人物に描かれることが多いが
今回はそういう段階でもない。
とにかく、セリフをしゃべるな!とどつきたくなる。

新選組!の久坂も鬱陶しいと思ったが
死ぬ場面は良いセリフだった。
(といいつつうろ覚えだか)
「何のために生まれてきたのか」
「戦ってきたことに意味はあったのか」的な。
龍馬伝の久坂の印象は薄いが悪くはなかった…と思う。
八重の桜の久坂は鬱陶しくなかった。
逆にあれは久坂じゃない、とも思う。
八重の桜の久坂役の人は、その前にカーネーションでたいぞう兄ちゃん役だった。
八重の桜の翌年は本能寺の変を伝える伝令係として一回だけ役名なしで出ていた。
だんだん役が小さくなっているのだが大丈夫だろうか。
あの人は、NHKのバスの旅番組で地元(実家方面)に来たのだが
実際に会った人の印象では、カメラがまわっていなくてもとても感じのいい、好青年らしい。

とりとめもない別の話だが、
実家の方(そんなに近くもないが)に
「 か さ く 」という看板のうなぎ屋さん(和食屋さん?…)がある。(あった?)
右から「くさか」と読むのが正しい店名なのだが
私は長い間、父に「かさく」と騙されていた。
「かさくにうなぎ食べにいぐが?」と。
で、私も「やったー かさく かさく♪」と喜んでいた。
高校生くらいになった時にようやく
「あれはくさかだよ。まだ本気にしてたのか。」と言われ唖然。
でも、なぜか学校でも他の人が「かさく」と言っていたし、普通に笑われることなく通用していた。


<内陸地震7年>栗駒再興一歩ずつ

河北新報
<内陸地震7年>栗駒再興一歩ずつ
17人が死亡し、6人が行方不明になった2008年の岩手・宮城内陸地震から14日で7年となった。
大きな被害を受けた栗原市の栗駒山麓は地震前、観光客でにぎわった。
かつての風景はいまだ戻らないが、栗駒の温泉跡では、日帰り温泉施設の計画が具体化してきた。
地域は模索しながら一歩ずつ前へ進む。

内陸地震は08年6月14日午前8時43分、岩手県内陸南部を震源に発生した。
マグニチュード7.2、栗原、奥州両市で最大震度6強を観測した。
死者は宮城県14人、岩手県2人、福島県1人。宮城県の4人、秋田県の2人が依然、行方不明になっている。
土石流で7人が亡くなった栗原市栗駒耕英の旅館「駒の湯温泉」跡地では、
旅館を経営していた菅原昭夫さん(59)が日帰り温泉施設として再建計画を進める。
「ようやく気持ちの整理がついた」と言う。
栗原市では14日、耕英地区の住民が慰霊碑前で犠牲者の冥福を祈る。
市は同市栗駒で市総合防災訓練を実施するほか、
発生時刻に防災行政無線でサイレンを鳴らし、市民に黙とうを呼び掛ける。
2015年06月14日日曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150614_13004.html


岩手・宮城内陸地震で被災した栗駒山麓。
手前右に見える山肌のうち、左側に丸く膨らんだ場所が土石流に襲われた駒の湯温泉跡地。
日帰り温泉施設の計画が進む=栗原市栗駒
150614.jpg


<内陸地震>山麓 深い傷今も
<地滑り>荒砥沢崩落地を崖の上に位置する冠頭部から望む。
むき出しの山肌の向こう側の林は約500メートル四方の山塊で、
地滑りにより表層形状を保ったまま300メートルほど水平方向にスライドした。
山塊は「巨大移動体」とも呼ばれる
1506142.jpg


岩手・宮城内陸地震で震度6強を観測した栗原市の栗駒山麓では、
大規模地滑りや山腹崩壊が多発し、山地災害の威力を見せつけた。
14日で発生から丸7年。国内最大級の地滑りにより、
山塊が水平方向に最大300メートルスライドした同市栗駒の荒砥沢崩落地周辺は、
今も一般の立ち入りが禁止され、治山や砂防の工事が続く。
約210万立方メートルの崩落土砂が迫川をせき止めた同市花山の湯浜地区では、巨大な砂防えん堤建設が進む。
8日、林野庁職員らの案内で荒砥沢、湯浜両地区を歩いた。
(栗原支局・藤本貴裕、若柳支局・横山寛、写真部・小林一成)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150614_13032.html

【途絶】荒砥沢崩落地内の巨大移動体に入り、草木をかき分けながら進むと、
ぶつ切りにされた旧市道荒砥沢線の上に出た。移動体には旧市道が900メートルほど残っているという
1506143.jpg


カテゴリ
月別アーカイブ
ブログ内検索
メッセージ

名前:
メール:
件名:
本文:

書き主

おおやしまねこ