宮内庁、毎日「陛下 公務否定に衝撃」報道を否定 有識者会議意見に不満のご発言「事実ない」 

2017.5.22 18:16
宮内庁、毎日「陛下 公務否定に衝撃」報道を否定 有識者会議意見に不満のご発言「事実ない」 
毎日は「十分な取材に基づいている」

毎日新聞が21日付朝刊で天皇陛下の譲位に関する政府の有識者会議内での一部意見について、
陛下が強い不満を漏らされていたとの記事を掲載したことを受け、
宮内庁の西村泰彦次長は22日の定例会見で
「天皇陛下のご発言の報道があったが、そうした事実はない」と全面的に否定した。
毎日新聞の記事は、「陛下 公務否定に衝撃」「『一代限り』に不満」などの見出しで1面トップで掲載。
昨年11月の有識者会議のヒアリングで、保守系の専門家から
「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、
陛下が「批判をされたことがショックだった」と強い不満を漏らされていたと紹介した。
また、有識者会議の議論が陛下一代限りでの譲位を実現する方向で進んでいたことについても、
陛下は「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」と話し、政府の方針に不満を示されたとしている。
記事は、陛下のお考えが宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられたとしているが、
西村次長は「陛下が(お考えを)話された事実はなく、
従って、宮内庁として内閣に報告していない」と重ねて否定。「極めて遺憾だ」と述べた。
毎日新聞社長室広報担当は「十分な取材に基づいて報道しております」とのコメントを出した。
http://www.sankei.com/life/news/170522/lif1705220035-n1.html


やっぱり陛下のご発言は事実ではなかったようだ

これは事実なのだろうか?

陛下 退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」
毎日新聞2017年5月21日 06時30分(最終更新 5月21日 06時30分)

天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から
「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、
陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。
陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて
「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、
制度化を実現するよう求めた。
「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。

宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。
ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や
渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、
「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。
被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、
宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。
陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、
皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。
保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。
陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。
一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。
この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、
憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。
被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、
天皇であり続けることはできないという強い思いがある。
【遠山和宏】
https:// mainichi.jp/articles/20170521/k00/00m/010/097000c


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もしこの報道が事実だとすれば、かなり残念な話である。
私も被災地ご訪問や慰霊の旅など、陛下の御身体に負担がかかるようであれば
宮中祭祀と国事行為だけでいい、日本国の象徴として最後まで今上陛下に在位して頂きたいという考えだった。
決して今上陛下のこれまでの在り方を否定しているわけではない。
でも、陛下は全身全霊で国民に寄り添うことが天皇の務めとお考えのご様子。
陛下のお考えは理解できるが、
「ショック」とか「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とか制度化にこだわるとか、
言葉の使い方の問題なのか、この記事が真に陛下のお気持ちを示したものなのかどうも信じ難い。
信じたくないからそのように思ってしまうのかもしれないが。

もともとリベラルな教育を受けてきた御方であるし、
敗戦から長い長い計画で側近、進講者などが送り込まれ、一般人に近い形でご家庭を築き、
いつの間にかこうなるように仕向けられたのかもしれないが、事実だとすれば残念なことである。
時代にそったものあるのかもしれないし、陛下の「お考え」は間違ってはいない。
お考えはわからなくはないが、制度にかかわることに口を出したら、そしてそれで国政が覆ったらそれは間違いである。
これで次代がまともならば、まだなんとかなるが更に残念なことに次代予定の人はまともではない。
左がかった「国民」に迎合はするだろうが、寄り添うことなどできない負債(夫妻)である。
全身全霊で務めることが天皇の務め。それが難しくなってきたから退位するというのなら
次代予定の人は全くふさわしくないということになるが、その辺は陛下はどうお考えなのか。


秋篠宮さま 「皇太子」と呼称せず 政府方針


秋篠宮さま
「皇太子」と呼称せず 政府方針
毎日新聞2017年4月5日 20時37分(最終更新 4月5日 20時54分)
http://mainichi.jp/articles/20170406/k00/00m/040/096000c
 天皇陛下の退位後に新天皇となる皇太子さまの弟の秋篠宮さまについて、
政府は「皇太子」など新たな称号の付与を見送る方針を固めた。
呼称は「秋篠宮」のままとし、皇位継承順位1位の皇族として
秋篠宮家の予算や補佐機関などの待遇を現在の皇太子さま並みに拡充する。
5月の大型連休明けに国会に提出する退位を実現する関連法案に盛り込む。
 皇室典範は皇太子について、「皇嗣(こうし)たる皇子(おうじ)」と定めている。
「皇嗣」は皇位継承順位1位の者、「皇子」は天皇の子を指しており、
新天皇の弟となる秋篠宮さまは皇太子にはなれない。
現在の皇太子さまの公務を担う皇族が不在になる恐れがあり、秋篠宮さまの処遇が課題となっていた。
 退位を巡る政府の有識者会議の専門家ヒアリングでは、典範の解釈変更などで秋篠宮さまを「皇太子」とみなしたり、
典範改正により「皇太弟(こうたいてい)」の称号を新設したりする案が挙がっていた。
しかし、秋篠宮さまに新たな称号を付与するには、
保守派の反対に配慮して政府が慎重な姿勢を取ってきた典範本則の改正が必要となる可能性がある。
典範が原則とする父から子、孫への皇位継承を重視する「直系主義」との関係も問題になりかねない。
このため、経済的待遇や組織拡充など皇室経済法の必要最小限の改正で対応することになった。
 ただし、秋篠宮さまには皇位継承順位1位としての公務の役割が期待される。
英語表記は皇太子を意味する「Crown Prince」とすることで、
海外からは皇太子と同格の処遇を得られるようにする。
 また予算面などで皇太子並みの待遇とするのは、
陛下の孫世代の唯一の皇位継承資格者である悠仁さまが秋篠宮さまの長男であることも踏まえた対応だ。【田中裕之】


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称号を有耶無耶にしておくと、
皇太子の娘、愛子を皇太子にしようと蠢いている輩にこの隙を利用されそうで心配。
まだ諦めていないようだ。
何度も吹き込まれれば、本人もその気になってしまうかもしれない。
皇位簒奪となれば、ただでは済まない。
その旗印にしてよいのか。
不登校にしてみたり、縮んだり、膨らんだり、左翼が喜びそうな作文を出して来たりと
常に話題に事欠かないように仕組まれている。
現皇太子が即位するのも我慢ならないが、スキップするのも難しそう。

震災の慰霊式典をみても、秋篠宮両殿下が即位するのが良いと思うのだが
一旦は暗黒時代を乗り越えなければならないのだろうか。
現皇太子を廃するのも、皇室廃止派に餌を与え、
長男教の盲目信奉者の目には秋篠宮殿下が簒奪者に映ってしまうのでリスクも高い。
形だけでも一旦は浩宮を天皇としなければならないのか。
せめて単体で。

秋篠宮殿下が継承順位第二位、悠仁親王殿下が第三位ということは
常にはっきりと内外に示してほしい。
悠仁親王殿下に男子が授からなかった場合のみ、旧皇族の男系男子かつなぎで女性天皇かという議論は必要だが
愛子が出る幕は全くないということも、はっきりさせることが必要だろう。
表向きゴユウシュウな愛子も高校生になるのだから、自分の進路を自由に決めたいだろう。




震災・空襲 慰霊


東日本大震災6年 政府主催の追悼式
3月11日 15時42分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170311/k10010907381000.html
東日本大震災の発生から6年となる11日、秋篠宮ご夫妻が出席されて、政府主催の追悼式が東京で開かれ、
地震の発生時刻に合わせて、安倍総理大臣や遺族の代表ら出席者全員が黙とうをささげ、
震災で亡くなった人たちに哀悼の意を表しました。
政府主催の「東日本大震災六周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、
秋篠宮ご夫妻や安倍総理大臣、それに遺族の代表らが出席し、
地震が発生した午後2時46分に出席者全員が黙とうをささげ、哀悼の意を表しました。
追悼式には、これまで毎年、天皇皇后両陛下が出席されてきましたが、
6周年となるのに合わせて検討が行われた結果、ことしは秋篠宮ご夫妻が出席されることになりました。
この中で安倍総理大臣が、「被災地に足を運ぶたび、震災から6年を経て復興は着実に進展していることを実感します。
インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、
福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。
復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、さらに復興を加速してまいります」と式辞を述べました。
また秋篠宮さまは「避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、
放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。
困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは
私たち皆の願いです」とおことばを述べられました。
この後、追悼式では、岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の千葉陽さんは、「去年、今住む町で、台風による甚大な被害がありました。私にとって、
津波を思い起こす出来事でした。災害からなんとか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うすること、
そして、さまざまなことで起きる『つらさ』を『幸せ』に変えられるように、今の自分が持てる力が役立つのならば、
少しでもできることをしていきたいと思います」と述べました。
宮城県の遺族代表の佐藤昌良さんは、「過酷な経験を後世に色あせることなく語り続けるため、
あの悲しみを忘れません。あのつらさを忘れません。あの無力さを忘れません。あの寒さを忘れません。
両親の無念の思いに応えるため、火葬を済ませてすぐに東京の職を辞し、父の背中を追い、
現在は地域建設業の経営者として復興の最前線に立っております。全国から頂いた善意の力を借りながら、
ふるさとの復興を必ず成し遂げて参ります」と述べました。
福島県の遺族代表の石井芳信さんは、「川内村は、比較的放射線量が低く、一部の地域を残し
1年で戻ることができました。今では全村の避難も解除され復興も着々と進んでおりますが、
若い人たちが子どもの教育問題などから村に戻らないという課題なども多く、以前のような村の姿には
程遠い現況にあります。みんなで力を合わせ復興と再生を進めていくことが私たちの責務であると考えます」と述べました。
この後、追悼式では、各国の代表ら参列者が献花を行い犠牲者を悼みました。

秋篠宮さまのおことば 全文
6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震と
それに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。
そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、
また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。
ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、
深く哀悼の意を表します。この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、
数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。
そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、
様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、
学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。
また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、
帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。
今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、
復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。
しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。
特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、
いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。
困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、
私たち皆の願いです。東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、
私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承が
いかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、
私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、
そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。
様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、
一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊への追悼の言葉といたします。


昨日は東京大空襲の日。こちらの慰霊祭も秋篠宮両殿下がご出席された。


東京大空襲72年で法要 遺族ら参列、秋篠宮ご夫妻も
伊藤あずさ
2017年3月10日13時17分
http://www.asahi.com/articles/ASK3B3G7FK3BUTIL00H.html

約10万人が亡くなった東京大空襲から72年となった10日、東京都慰霊堂(墨田区)で都慰霊協会主催の法要があった。
秋篠宮ご夫妻や小池百合子都知事、遺族ら約600人が参列し、犠牲者を悼んだ。
僧侶らによる読経の後、小池知事はあいさつで、「東京は戦災と震災(関東大震災)で2度、焦土と化した。
記憶を決して風化させることのないよう、後の世代にしっかりと受け継ぐ」と述べた。
慰霊堂では、朝から追悼に訪れた人たちが列をつくった。墨田区の田中英雄さん(81)は、
家族と疎開せずに都内に残っていた父を空襲で失った。「いかに悲惨な出来事が起こったか、
若い人たちも思い起こす日にしてほしい」。祖父を亡くした江戸川区の平野和子さん(80)は
「逃げる途中、墨田区内で亡くなったと聞いています。おじいちゃんに会いたいな、話したいなと思い、
お参りに来ました」と話した。(伊藤あずさ)
     ◇
〈東京大空襲〉 1945年3月10日未明、米軍のB29爆撃機約300機が
東京の上空から33万発の焼夷(しょうい)弾を投下した。
下町一帯を激しい炎が襲い、犠牲者は推定10万人。
米軍の絨毯(じゅうたん)爆撃の始まりで、これ以降、名古屋、大阪、神戸などが大規模な空襲を受けた。

天長節

日の丸

天皇陛下、お誕生日おめでとうございます。
両陛下と皇室の弥栄をお祈り申し上げます。

御世代わりには納得できないが、陛下の御意思ならばその思いに沿うようにして頂きたいとも思う。
但し、次代はあの二人だということに耐えられないかもしれない。
浩宮やその妻のために弥栄は祈れない。

秋篠宮両殿下宮城県ご訪問

秋篠宮ご夫妻、保育所を訪問 山元の新市街地 /宮城
毎日新聞2016年9月11日 地方版

秋篠宮ご夫妻が10日、東日本大震災で被害が大きかった山元町で、
先月開所したばかりのつばめの杜保育所を訪問された。
ご夫妻で県内を視察するのは震災以降、4度目。
同保育所は、町が被災者の移転先として整備した新市街地の
つばめの杜(新山下駅周辺)地区に建設され、園児148人を預かっている。
ご夫妻は遊戯室で遊ぶ園児たちに声をかけ、一緒にままごとをするなど打ち解けた様子だった。
伊藤ひとみ所長は「笑顔で接していただき、子供たちはお友達や先生と遊ぶようだった」と話した。【川口裕之】
http://mainichi.jp/articles/20160911/ddl/k04/040/025000c




2016年12月4日追記

みやぎ県政だより2016 11-12月号より
160910






悠仁親王殿下10歳

悠仁さま 10歳の誕生日
9月6日 5時14分
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは、6日、10歳の誕生日を迎えられました。
宮内庁によりますと、悠仁さまは、大きな病気にかかることもなく健やかに成長されています。
小学4年生になって、授業時間や下級生の世話をする機会が増えるとともに、
自分で関心のあるテーマを選んで調べる自主学習も本格化し、
「東京の市の様子」をテーマに、それぞれの市の地形や特徴を地図帳などを広げて熱心に調べられているということです。
また、自分の住む地域を紹介する社会の授業の課題では、
お住まいのある赤坂御用地の周辺を歩いて調べ、紙芝居にまとめてクラスで発表されました。
お住まいの宮邸の庭では、生き物が集まりコメの収穫もできる田んぼを作りたいと考え、
去年の秋から準備を始めて、地面の掘り起こしからあぜ作り、
それに、種まきや田植えなどを経験されたということです。
田んぼにはメダカやヤゴを放すとともに、そばに小さな池を作って生き物が住みやすい環境になるよう工夫していて、
時間を見つけては、くわやシャベルを使って田んぼと池を結ぶ水路の手入れをされています。
田んぼ作りは、秋篠宮ご夫妻や、姉の眞子さまと佳子さまも手伝われ、
田んぼには稲穂が実ってまもなく収穫の時期を迎えるということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160906/k10010671501000.html


悠仁さま、10歳の誕生日 稲作や野菜づくりに夢中
多田晃子、島康彦
2016年9月6日05時00分
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁(ひさひと)さまが6日、10歳の誕生日を迎えた。悠仁さまは皇位継承順位3位。
天皇陛下が「生前退位」の意向をにじませるお気持ちを表明したことで、
陛下の孫の世代でただ一人の男性皇族としても注目が集まっている。
悠仁さまは現在、お茶の水女子大付属小学校の4年生。宮内庁によると、生き物が集まる環境をつくりたいと思い、
秋篠宮さまの知人らに教えてもらいながら宮邸の庭に田んぼをつくり、
ご夫妻や姉の眞子さま、佳子さまとともに稲作に取り組んでいる。
田んぼにメダカやヤゴを放したりそばに小さい池を作ったりして、時間を見つけては観察や手入れをしている。
野菜作りにも夢中で、畑の設計図を書き、いつ、どこに、何を植えて収穫するか考えているという。
収穫したジャガイモやトマト、インゲンなどはご一家の食卓にのぼることもある。
学校の社会の授業では、赤坂御用地周辺を歩き、紙芝居にまとめてクラスで発表した。
週末などには遠出することもあり、スキーや湧き水のある場所を訪れるなど自然にも親しんだ。
天皇の位を継ぐ皇位継承者として、ご夫妻の教育方針や宮内庁のサポート態勢にも関心が集まっている。
ご夫妻は悠仁さまと皇居を度々訪れ、天皇、皇后両陛下と積極的に交流を図っている。各地に同行させることも増え、
8月には新潟県で縄文土器に触ったり、復元された竪穴式住居の中に入ったりした。
戦後70年にあたる昨夏は、沖縄戦の巻き添えになった子らを慰霊する集いに参加、
戦争に関する展示も観覧した。様々な経験を積ませ、少しずつ皇族の自覚を持たせようという方針という。
ただ、ご一家を担当する職員数は、子が愛子さま1人の皇太子ご一家が約50人なのに対し、
3人の子がいる秋篠宮家は約20人。侍従や侍医もいない。
宮内庁は来年度予算で、悠仁さまのお世話担当の職員1人の増員を要求した。
所功・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)は「天皇陛下や皇太子さまの例を参考に、将来皇位を担うことを見据え、
倫理や歴史、政治学などの特別カリキュラムや環境を早く構築することが大事」と話す。(多田晃子、島康彦)
http://www.asahi.com/articles/ASJ954J0KJ95UTIL01C.html

20160906.jpg



悠仁親王殿下、お誕生日おめでとうございます。

あの喜びの日からもう10年。
ずいぶんとたくましくお育ちになった。
田んぼを一から作るなんて凄い。

政府は「大河の流れ」を見てお言葉を考えよ ジャーナリスト・櫻井よしこ

2016.8.9 07:01更新
【天皇陛下「お気持ち」】
政府は「大河の流れ」を見てお言葉を考えよ ジャーナリスト・櫻井よしこ
穏やかな、理性的な表現ながら、率直なお心の表明だった。多くの国民の共感を呼ぶようなメッセージであった。
とりわけ、「国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、
幸せなことでした」と過去形で述べたことや、
摂政を置くことについて「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」とされたくだりには、強いご決意を感じた。
今回の事柄を、現行の皇室典範の枠の中で改定することを否定されていることも感じた。
国民の側としては、よくよく考えなくてはいけない。
譲位、退位については、明治憲法のときも伊藤博文らにより論じられ、
「ない方がよろしい」と決まったことも忘れてはならないだろう。日本国の安定した未来のための選択であったはずだ。
こうした歴史や、過去の歩みに基づいて、国民にも政府にも冷静な判断が求められる。
退位は時に政治的な意味合いを持つ。それをきちんと認識すべきで、政治的な利用は排除されなくてはいけない。
昭和天皇の独白録や実録によれば、昭和天皇は内々では明確な意見を持ち、それを言葉にしながらも、
公には立憲君主として自制的かつ自律的に振る舞われていた印象が強い。
こうした立憲君主のお立場は、日本国の国柄として大事にしなくてはいけないものである。
同時に、天皇陛下のお気持ちは、個人として話されたことであるが、軽んじてはならない。
天皇の譲位を国として避けてきた歴史を踏まえながら、どこまでお気持ちをくみ取れるのか。
冷静に国民みんなで考えるべきだ。陛下がおっしゃった結果、皇室典範などを変えるという結論になるのは、
よほど慎重でなければならないだろう。政治的利用の余地が生まれる可能性があるためだ。
また、広く使われている「生前退位」という言葉には違和感がある。
退位は当然生前に行うものであり、譲位という言葉を使うべきではないだろうか。
それはさておき、報道各社のアンケートによれば、多くの人が陛下のお考えに理解を示している。
今回の映像を見て感じたのは、自らが思い描いた天皇像を実践してこられた誠実さだった。
そのお気持ちを目の当たりにした国民は、陛下が国民のことを考え、
働いてくださっていることを、心からありがたいと理解するはずだ。
陛下は国民に寄り添いたいと考え、それを実行されてきた。
天皇の存在は「存在しているだけで意味がある」という意見もあるが、
国民に寄り添うために遠方の地まで出かけていかれる行動や思いには万人の心にしみ入る尊さがある。
政府は、悠久の歴史を引き継ぐ、ゆったりと長い大河の流れを見るようにして、
このたびのお言葉について考えなくてはならない。軽々な変化は慎むべきだ。 (談)
http://www.sankei.com/life/news/160809/lif1608090010-n1.html

天皇陛下のお言葉

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12


陛下は直接的なことを仰ることはできない。
それをいいことにマスコミの恣意的解釈。
特にNHKは陛下を早く退位させくて仕方がない様子。


昨日からの

ニュースが不気味。

宮内庁次長、長官は生前退位の検討を否定
菅官房長官も「生前退位に向けた皇室典範改正考えてない」

それなのに報道が先走っている。
特にNHKが悪質。
特に「皇室典範の改正」というところに重きを置いている印象。

今回のように報道が先行して世論を動かし、外堀から埋めて現実化させようとする動きは
女性宮家の検討や女性天皇ごり押し、
もっと前だと両陛下の中国訪問、そして現皇太子妃の入内など過去に何度かあった。
今回もここにあげた全てのことに関わっていると思われる人物の仕業だろうか。

陛下の激務については検討されるべきだし
国事行為と祭祀だけでも良い。
「公務が十分果たせないので退位する」というのであれば
今の皇太子夫妻は最初から無理ということにもなる。
あのふたりに務まるとは到底思えない。
そして何より、皇太子が万が一即位して陛下となり
「陛下の意向」として愛子の即位を望んだら?
どさくさにまぎれてまた女性天皇の話がもちあがってくる恐れもある。
画策者の目的もそこにあるのかもしれない。



衝撃

天皇陛下 「生前退位」の意向示される
7月13日 19時00分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160713/k10010594271000.html

天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。
数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。
天皇陛下は、82歳と高齢となった今も、憲法に規定された国事行為をはじめ数多くの公務を続けられています。
そうしたなか、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。
天皇陛下は、「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」と考え、
今後、年を重ねていくなかで、大きく公務を減らしたり代役を立てたりして天皇の位にとどまることは望まれていないということです。
こうした意向は、皇后さまをはじめ皇太子さまや秋篠宮さまも受け入れられているということです。
天皇陛下は、数年内の譲位を望まれているということで、
天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。
これについて関係者の1人は、「天皇陛下は、象徴としての立場から直接的な表現は避けられるかも知れないが、
ご自身のお気持ちがにじみ出たものになるだろう」と話しています。
海外では、3年前、皇室とも親交の深いオランダの女王やローマ法王などが相次いで退位を表明して注目を集めました。
日本でも、昭和天皇まで124代の天皇のうち、半数近くが生前に皇位を譲っていますが、
明治時代以降、天皇の譲位はなくされ、江戸時代後期の光格天皇を最後におよそ200年間、譲位は行われていません。
皇室制度を定めた「皇室典範」に天皇の退位の規定はなく、
天皇陛下の意向は、皇室典範の改正なども含めた国民的な議論につながっていくものとみられます。

びっくりした。
歴代天皇の生前退位は珍しくはないとはいえ、
記事にもあるように200年ない。
陛下は天皇を「仕事」や「任務」と捉えておられるのか。
体力、気力が衰えて、任務を全うできないことは申し訳ないとお考えなのか。
そうではないのに。
「天皇陛下」という地位におられることが大事なのに。
これから議論されるということだが、陛下の御意向に逆らうことはできないだろう。
なにより、あの問題多き長男とその妻の即位が私は、受け入れられそうもない。
秋篠宮殿下、悠仁親王殿下に皇位が受け継がれる前に日本が終わってしまいそう。



勢いで書いたが
宮内庁は否定


宮内庁次長は全面否定「報道の事実一切ない」 生前退位
2016年7月13日21時50分
宮内庁の山本信一郎次長は13日夜、宮内庁内で報道陣の取材に応じ、
「報道されたような事実は一切ない」と、最初に報じたNHKの内容を全面的に否定した。
宮内庁として生前退位について検討しているかに関しては、
「その大前提となる(天皇陛下の)お気持ちがないわけだから、検討していません」と語った。
http://www.asahi.com/articles/ASJ7F6W4MJ7FUTIL04G.html

両陛下 ご来県

天皇皇后両陛下 仙台駅に到着
03月16日 19時38分

天皇皇后両陛下は、東日本大震災の復興状況の視察のため、
16日から、3日間の日程で宮城県と福島県を訪問され、午後5時前にJR仙台駅に到着しました。
仙台駅では、午後4時40分すぎに、両陛下が乗られた東北新幹線が到着しました。
両陛下は、仙台市の奥山市長らが出迎えるなか、
駅の西口周辺に集まった大勢の人たちに笑顔で手を振って応えたあと、
車で、今夜の宿泊先の仙台市内のホテルに向かわれました。
両陛下は、まず福島県で原発事故の影響で避難生活を続けている葛尾村の人たちを励まされました。
17日は、石巻市で震災の津波で犠牲となった、漁業者を追悼する慰霊碑を訪れたあと、
女川町で新たに整備された駅前の商店街などを視察されます。
そして18日には、仙台市の東北大学で、震災と医療についての展示を見学してから、東京に戻られることになっています。
両陛下の宮城県へのご訪問は去年6月以来で、東日本大震災のあと6回目となりました。
JR仙台駅前を訪れた仙台市の70代の男性は、
「来て頂いたことが励みになります。被災地に思いを寄せてくれていることを感じました」と話していました。
また、栗原市の高校3年の女子生徒は、
「被害が大きかった場所を見てもらって、亡くなった人たちに祈りを捧げてもらえるとうれしいです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20160316/5911131.html


天皇皇后両陛下 宮城・女川町の商店街を視察
3月17日 17時00分
天皇皇后両陛下は、17日、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県女川町を訪れ、
新たな町づくりの拠点となる駅前の商店街などを視察されました。
両陛下は、17日午後、JR女川駅前にある町の交流施設に到着し、
集まった人たちの歓迎に笑顔で手を振って応えられました。
両陛下は、震災以来、津波で大きな被害を受けた女川町への訪問を望んできたということで、
17日は、かさ上げした土地に整備された駅前の商店街を視察されました。
ここには飲食店やスーパーなど30軒近くが建ち並んでいて、復興に向けた町づくりの拠点となっています。
両陛下は、出迎えた商店主らに「どんなものを置いてらっしゃいますか」とか、
「だんだん人が戻ってきてよかったですね」などとことばをかけ、
花屋やダイビングショップでは、店の中に入って商品をご覧になりました。
続いて、両陛下は、町長の案内で女川駅の見える場所に進まれました。
皇后さまは、去年、JR石巻線が4年ぶりに全線開通し、一番列車が女川駅を出発する様子を歌に詠んでいて、
駅を眺めながら駅舎の形の由来などについて尋ねられていました。
商店街の遊歩道には大勢の人だかりができ、両陛下は、すぐそばまで歩み寄って
「震災のときはどうでしたか」とか「ご家族は大丈夫」などとことばをかけられていました。
両陛下は、このあと、津波による被害から復興を果たした水産加工会社の工場を視察されました。
この会社では、がれきの中からレシピを探し出して看板商品のさんまのつくだ煮を復活させたということで、
両陛下は、震災直後の工場の写真などを見ながら、
案内役の社長に「ずいぶん苦労されたでしょうね」などと話しかけられていました。
両陛下は、18日、仙台市で、震災と医療に関する展示を見るなどしたあと、午後東京に戻られます。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160317/k10010446791000.html


<震災5年>両陛下「震災と医療」見学
東日本大震災の被災地視察のため宮城県に滞在している天皇、皇后両陛下は18日午前、
仙台市青葉区の東北大川内キャンパスを訪問された。
両陛下は同大百周年記念会館で、震災と医療をテーマにした日本循環器学会の企画展示を見学。
石巻市立病院の被災状況を説明するパネルに案内されると、天皇陛下は「大変でしたね」と言葉を掛けた。
視察を終えると車で県庁へと移動し、村井嘉浩知事らと会食。
2泊3日の被災地訪問の日程を終え、JR仙台駅から専用列車で皇居に帰った。震災後、両陛下の宮城県入りは5回目。
2016年03月18日金曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160318_13058.html

両陛下 東北大視察し東京へ
03月18日 15時59分
天皇皇后両陛下は、18日、仙台市の東北大学で震災と医療についての展示をご覧になりました。
両陛下は被災地での3日間の日程を終え、午後東京に戻られました。
両陛下は、18日午前仙台市の東北大学を訪れ震災と医療についてのパネル展示をご覧になりました。
パネルの1枚は、宮城県医師会が被災地の医療機関に震災前と同じ医療レベルに戻っているかを聞き取りをしたところ
53%が戻っていないと回答したことを紹介しています。
パネルをご覧になった天皇陛下は「戻らないのはどうしてですか」と質問され、
宮城県医師会の嘉数研二会長が「レントゲンなどの設備がまだ整っていない上に
看護師の数も減っていることなどが影響しています」と説明していました。
このあと、両陛下は宮城県庁を訪れ、待ち構えた人たちに立ち止まって手を振って応えられていました。
両陛下は、18日で福島県と宮城県を訪問した3日間の日程をすべて終え、午後、東京に戻られました。
JR仙台駅には両陛下を見送ろうとする人や一目見ようとする人などでおよそ400人の人だかりができていました。
昼過ぎに仙台駅に両陛下が到着されると大勢の人が「ありがとうございました」と言葉をかけていました。
このうち、3時間前から到着を待っていたという85歳の男性は
「震災のことを気にかけて県内に何度も足を運んでもらえることが本当にありがたいです」と話しました。
また、赤ちゃんを連れた40代の仙台市の女性は
「震災の時は仙台も大変でしたので両陛下にいらしていただくことですごく励まされます」と話しました。
http://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20160318/5911761.html

皇室典範と国連

産経ニュース
2016.3.9 14:30更新

【国連女子差別撤廃委】
日本の国柄・伝統を無視し、「男系継承は女性差別」と勧告しようとした裏でやはりあの国が暗躍していた…
 国連女子差別撤廃委員会が、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだとの勧告をしようとしていたことは、同委がいかに対象国の国柄や歴史・伝統に無理解な存在であるかを改めて示したものだ。勧告の理由は、女性だから皇位継承権を与えられないのは差別であるという単純かつ皮相的なもので、125代の現天皇陛下まで一度の例外もなく男系継承が続いてきた事実、日本国の根幹をなす皇室制度への尊重はみられない。
 「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みを踏まえつつ、安定的な皇位継承の維持について引き続き検討していきたい」
 安倍晋三首相も2月4日の衆院予算委員会でこう述べている。にもかかわらず、一方的に勧告に皇室典範改正要求が盛り込まれていたら、日本国の象徴であり、事実上の国家元首である天皇のあり方について、国連の重大な内政干渉を許すことになりかねない危うい場面だった。
 そもそも、女子差別撤廃委の各委員が締約国に関して深い知識を持っているわけではない。委員がもっぱら情報源としているのが非政府組織(NGO)だがその情報は偏っており、例えば慰安婦問題をめぐっても委員の中には、元慰安婦が家族から業者に売られた事例も知らず、全員が「日本軍によって強制的に連行された」と信じ込んでいる者もいる。
 「日本に関する見解をとりまとめた委員は中国の人だ。いろいろな思惑があってやっているのだろう」
 政府高官はこう指摘する。皇室典範の件だけではなく、女子差別撤廃委の委員それぞれが出身国の思惑や国益を背景に政治的に動いている部分もある。今回、同委は慰安婦問題に関する「最終的かつ不可逆的な解決」を決めた日韓合意を批判したが、政府内にはこれも日韓の分断が狙いだとの分析もある。
 いずれにしろ今回、最終見解案に突如、皇室典範改正の文言が入ってきたことは日本政府に衝撃を与えた。委員会内での議論は非公開のため経緯は不明だが、政府には国連の場で仕掛けられる「歴史戦」に一層、強力に対応していくことが求められる。(田北真樹子、阿比留瑠比)

http://www.sankei.com/politics/news/160309/plt1603090007-n1.html
http://www.sankei.com/politics/news/160309/plt1603090007-n2.html


なぜ国連が干渉してくるのか。
ローマ法王も男性のみ。
日本でも大相撲や歌舞伎など男性だけの職業がいくつかあるし、お祭りでも男性だけ、女性だけというのがある。
おそらく他の国にもそのような例は多々あるだろう。
もちろん皇位継承は上記のような事柄の男女の区別とか、一般的な「差別」とは別次元の話である。
西洋での王位継承は女性でもOKになった国もあるのは事実だが
よそはよそ、日本は日本。まさに、日本独自の「皇室」なのだから、国連ごときに口出しされたくない。

国連ということで、現皇太子妃の実父が関与しているのではないかという気がしてしまうのは考えすぎだろうか。
小泉純一郎が首相の頃、小和田恒と何度か面会していた。
小泉と小和田はともに福田赳夫の秘書で懇意だった。
小和田恒の孫娘を皇位につけるための典範改正がされようとする寸前に、
正統な継承者である男系男子が誕生し、典範改正は白紙となった。
民主党政権下では女性宮家が画策されそうになったが反対意見も多く、当時の意見公募で立ち消えとなった。
その後は自民党政権に戻り、議論は進んでいない。
今度は国連を使って手を回してきたのかと思った。
皇太子夫妻も国連事務総長夫妻と親しいようだし、全く油断ならない。


皇位継承の在り方 安定へ落ち着いた議論を

産経
2016.2.6 05:03更新
【主張】
皇位継承の在り方 安定へ落ち着いた議論を
http://www.sankei.com/life/news/160206/lif1602060013-n1.html


安倍晋三首相が、皇位について、「男系継承が古来例外なく維持されてきた重み」を踏まえ、
安定的な継承の在り方を検討していく考えを国会で示した。
天皇は日本国と国民統合の象徴であり、皇位が安定して続いていくことは国民の強く願うところである。
伝統を尊重しつつ検討していくとの首相の発言は妥当だ。どのような手立てを講ずることが望ましいのか、
落ち着いた環境の下で真剣に議論を進めてほしい。
言うまでもなく、天皇は日本の立憲君主である。君主の位の継承は、
その正統性、永続性にかかわるため、伝統を踏まえることが重要となる。
皇統譜からも分かるように、第125代となる今の天皇陛下まで、例外なく男系で続いてきた。
これが、日本の皇位継承の伝統の最も基本的な特徴である。
皇位継承権を持つ5人の男子皇族のうち、皇太子さま、秋篠宮さまの次の世代は、悠仁さまお一人である。
首相が国会で述べたように、皇位が安定的に継承されていくことは
「国家の基本にかかわる極めて重要な問題」である。
皇位継承権を持つ皇族の層に厚みを持たせることが望ましい。
平成17年に小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関がまとめた報告書は、
女性皇族や女系の子孫にも皇位継承権を認めることを求めていた。
安倍首相は19年には、この報告書を白紙に戻した。
女系継承の容認は、125代にわたり培ってきた皇統の伝統を途絶えさせ、
皇位の正統性を疑わせることになりかねないからだ。
占領期の昭和22年には、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で、
11の宮家の人々が皇籍離脱を余儀なくされた。
その結果、皇位継承権を持つ皇族が極めて少なくなった経緯がある。
安定的な皇位継承を保つため、皇室の親族である旧皇族の皇籍復帰を求める案がある。
旧皇族が皇族に復帰した例は、長い日本の歴史で何度もある。
10年前の議論の際、有力政治家の多くも男系継承の伝統を知らなかった。
その後、少しずつではあるが知識は広がってきている。
男系によって維持してきた日本の皇統の歴史を未来に引き継いでいくことに、知恵をしぼるときである。

天長節


天皇陛下お誕生日に際し(平成27年)
天皇陛下の記者会見
会見年月日:平成27年12月18日
会見場所:宮殿 石橋の間
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h27e.html


天皇陛下、お誕生日おめでとうございます。
平成の御代がこれからも末永く続いていきますよう、願っています。

ひとりごと

未だ皇室に居続ける雅子さん52歳。

医師団文書は毎年同じ。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/d-kenkai-h271209.html
>公的なご活動につきましては、引き続き妃殿下のお気持ちやお考えを伺いつつ、
>ご活動の内容、ご負担、ご体調などを専門的に勘案しながら対応をその都度考えていきたいと思います。
>また、私的なご活動につきましては、拡充していっていただくことが大切だと考えております。

公務は選り好みする。
やりたくないのはやらない。やりたいのだけを選ぶ。
私的活動はますます、どんどんやる。

こんな都合のいい診立てをする医者。
いい加減、公人をやめて、自力で稼いで好きなだけ私的活動をすれば?

園遊会

2015.11.13 08:15更新
秋の園遊会 雅子さま12年ぶりご出席
http://www.sankei.com/life/news/151112/lif1511120033-n1.html

天皇、皇后両陛下が主催される「秋の園遊会」が12日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、
漫画家の水島新司さん、東日本豪雨で被害を受けた栃木県の福田富一知事ら各界の招待者約1970人が出席した。
皇太子妃雅子さまは赤紫色のスーツ姿で、12年ぶりにご出席。
当初は両陛下をはじめ皇族方とともに丘の上に並ぶなどした後に退席する予定だったが、
両陛下の意向などを踏まえて丘を下り、約5分間にわたって招待者と交流された。
招待者によると、雅子さまは笑顔で会釈を繰り返されていたという。



12年ぶりに一部分だけ出たゴビョーキの人中心の報道はやめてもらいたい。
ニュース映像で見たが、にやにやペコペコとみっともない姿をさらしていた。
散々遊び歩いているのに、よく恥ずかしくもなく「療養中」という看板を掲げ続けているものだ。
こんな中途半端な出方は、ツラの皮が分厚いか、頭がおかしいかどちらかでないとできない。
たぶん、両方あてはまるゴビョーキなのだろう。
両陛下はご高齢、お二方とも体調は万全とは言えない。
常陸宮両殿下も同様で、殿下はテントの中で車いすでご歓談。
寛仁親王妃の信子様は先日足を骨折して杖をついてご出席。
秋篠宮両殿下は強行日程のブラジルご訪問から帰国されたばかり。
日頃、一番暇でお元気そうな人が、誰よりも配慮されている。
もちろん表向き心の御病気(実体はキ印)だから、いろいろ難しいのだろうけど。
こういうリハビリのような参加の仕方は、招待客に失礼だと思う。
皇太子は君が代の途中でおしゃべりを始めたらしい。
妻に引きずられて、いよいよダメになってきた。

悠仁さま、9歳に…両陛下から戦争の話聞かれる

悠仁さま、9歳に…両陛下から戦争の話聞かれる
2015年09月06日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150905-OYT1T50102.html

秋篠宮ご夫妻の長男で、お茶の水女子大付属小3年の悠仁ひさひとさまが6日、9歳の誕生日を迎えられた。
宮内庁によると、学校では3年になって理科と社会の授業が始まり、意欲的に取り組まれている。
放課後は友達と一緒に大好きな虫捕りを楽しみ、観察した後は、自然に帰すよう心掛けられているという。
休みの日も、昆虫が生息する環境を知りたいと、お住まいの赤坂御用地(東京・元赤坂)の小川や池を見て回られている。
宮邸の畑では、ジャガイモやインゲンなどの野菜を育て、自分で摘んだブルーベリーの実を家族や職員に配られたという。
この夏は、ご夫妻と一緒に戦後70年の企画展などを見学。
戦時下の小学生が描いた絵日記を真剣な表情で読んだり、沖縄戦で家族を亡くした人の体験談を聞いたりされた。
皇居・御所を訪れた際にも、天皇、皇后両陛下から戦争の話を聞かれることがあったという。
2015年09月06日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

お住まいの赤坂御用地で、秋篠宮さまと話される悠仁さま(8月10日、宮内庁提供)
悠仁親王殿下9歳

対照的なご一家

秋篠宮ご一家、沖縄戦追悼の集いに=東京
秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さま(8)、次女佳子さま(20)は17日午前、東京都新宿区で、
戦後70年に当たって企画された「沖縄戦終結70年・鎮魂と平和への祈り『地上戦と子どもたち』追悼の集い」に出席された。
ご一家は会場の最前列で、沖縄の小中学生による「エイサー」などの琉球舞踊を鑑賞。
沖縄戦犠牲者に黙とうをささげ、旧満州から沖縄に引き揚げた名城郁子さん(82)の体験談に続き、
沖縄戦で生き残った玉木利枝子さん(81)の話に耳を傾けた。
続いて沖縄出身の全盲のテノール歌手、新垣勉さんが沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」を熱唱。
最後にご一家を含め、出席者全員でこの歌を合唱した。(2015/08/17-12:13)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201508/2015081700300&g=soc


皇太子ご一家が帰京
11日から静岡県下田市の須崎御用邸で静養していた皇太子ご一家は17日夕、帰京された。
宮内庁によると、ご一家は戦後70年の15日、同御用邸で黙とうしたという。(2015/08/17-18:02)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201508/2015081700619&g=soc








秋篠宮両殿下銀婚式

秋篠宮ご夫妻が銀婚式…自己評価は互いに「可」
2015年06月29日 05時07分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150628-OYT1T50094.html

秋篠宮ご夫妻は29日、結婚25年(銀婚式)を迎え、これに先立ち、感想を文書で出された。
ご夫妻が対談される形式で、「出会い」や「結婚の日と新居」、「子どもたちのこと」など7項目で構成。
大学時代、信号待ちをしていた時に秋篠宮さま(49)が紀子さま(48)にプロポーズされたことや、
1990年に結婚し、こぢんまりとした築60年の木造家屋で新婚生活が始まったことなどがつづられている。
25年がたった今の気持ちについて、秋篠宮さまは、「ほとんど言葉に出さないので不満かもしれませんが、
感謝の気持ちもきちんともっていますよ」と語りかけられた。
紀子さまは「いつもこまやかにお教えくださり、また健康面も気遣ってくださり、深く感謝しております」と応じられた。
秋篠宮さまは、若い頃の自身について、仕事や研究などで思いが至らず、周囲に迷惑をかけたとした上で
「いまだに不十分で、精神年齢が20代から進化していないのでしょう」とユーモアを交えて話された。
紀子さまは、皇室という慣れない環境で戸惑うことが多かったと振り返り、
「今は力を抜くこつが少しずつわかってきたように感じています」と述べられた。
夫や妻、3人のお子さまを育てられた親としての自身を自己評価。
秋篠宮さまは「限りなくボーダーラインに近い『可』といったところ」と語り、
紀子さまも「私も仲良く『可』にいたします」と続けられた。「良」や「優」は今後の努力目標とし、
「努力目標にむけて一緒に年を重ねていくことができれば幸せ」と息の合った様子を見せられた。
宮内庁によると、秋篠宮さまがこの形式を発案し、お二人で話し合いながらパソコンで文章を打たれたという。
2015年06月29日 05時07分

宮内庁HP
文仁親王同妃両殿下ご結婚満25年に際してのご感想
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/gokanso-h27-gokekkon25.html




秋篠宮両殿下、銀婚式おめでとうございます。
素敵なご夫妻だ。
祭祀にも、公務にも真摯に取り組まれ、趣味も充実し、努力も怠らず、
温かい家庭を築き、国民を幸せな気持ちにしてくれる両殿下。
次代の日本の象徴にふさわしいのは、やはり秋篠宮両殿下だと思う。

両陛下ご来県

NHK 東北NEWS WEB
両陛下が北原尾など訪問
06月17日 19時07分
天皇皇后両陛下は17日午後白石市や蔵王町を訪れ、
このうち蔵王町では、戦後、パラオから引き揚げた人たちが開拓して入植した「北原尾」地区を訪ねられました。
天皇皇后両陛下は17日正午すぎに、東北新幹線の白石蔵王駅に到着されました。
白石蔵王駅を利用されるのは、平成9年の全国植樹祭以来18年ぶりです。
駅前には地元の人が大勢つめかけて、両陛下を歓迎しました。
このあと両陛下は蔵王町のふるさと文化会館で休憩したあと午後1時過ぎに蔵王町の北原尾地区などを訪問されました。
北原尾地区は、太平洋戦争の激戦地パラオから引き揚げた人たちが開拓し、
「北のパラオ」という思いを込めて「北原尾」と名付けられました。
ことし4月にパラオを訪れて戦没者を慰霊した両陛下は、
戦争の犠牲者だけでなく戦後の引き揚げで苦労を重ねた人たちにも心を寄せていられます。
まだ子どもの時にパラオから入植した工藤静雄さん(73歳)など、
3人のお年寄りと言葉を交わし天皇陛下は「大変な日々を過ごされたんですね」などと話しかけて、
これまでの労をねぎらわれていました。
このあと両陛下は、開拓の歴史について説明を受けたあと、マイクロバスで地区を回り、
高原を切り開いて作った牧草地などを視察されました。
両陛下は、18日は、山形県東根市などを訪問されます。
http://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20150617/4933581.html


みやぎ県政だより平成27年9月・10月号より
両陛下 蔵王へ
(※平成27年9月に追記)


「北原尾」が「北パラオ」だということは、今年、両陛下がパラオを訪問された時に
県内のニュースで取り上げられていて、それで初めて知った。
蔵王はこのところあやしい動きをしていたが
蔵王の火口付近の警戒は昨日解除された。
何事もなくて良かった。
そして蔵王町にはとんでもない左巻きな知り合いの知り合い(私は面識なし)がいるらしいのだが
何事もなくて良かった。

ご公務ではなく、私的な旅行とのこと。
それでも、公務と変わりない。
両陛下はゆっくり休養されることなどほとんどないのではないだろうか。
有り難いことだけれど、どうか御身体を大切にしていただきたい。
次予定の夫妻はどうしても受け入れることはできない。
もし蔵王を訪れたのが次予定の夫妻だったら
「どうか噴火しないで」なんて祈れない。

秋篠宮両殿下は本日、日帰りで福島県をご訪問。
昨日は香淳皇后の例祭で武蔵野東陵をご参拝。
毎週のように地方でのご公務がある。
こちらもお忙しい毎日。

皇太子とその妻は昨日、ようやく
両陛下から引き継いだ「こどもの日」関連の施設訪問をようやく「こなした」
絵本の読み聞かせの見学をしたらしい。


秋篠宮両殿下 高野山

高野山の法会に秋篠宮ご夫妻ご臨席
2015-05-21(木) 19:33

地方事情の視察のため、昨日から、和歌山県を訪問されている秋篠宮ご夫妻は、
今日開創1200年記念大法会が行われている高野山で、
50日間の法会を締めくくる、結願法会に出席されました。
秋篠宮ご夫妻は今日午前、高野山の壇上伽藍や奥之院を視察されました。
奥之院では、樹齢数百年の杉木立の中、今も1日2回、
御廟の弘法大師に食事を届ける儀式「生身供」をご覧になりました。
午後からは、壇上伽藍で行われた高野山開創1200年記念大法会の結願法会に臨席されました。
高野山では、先月2日から、50日間にわたり記念法会が行われていて今日が、その最終日。
結願法会は、50日間の無事を報告する厳粛な法会で、
山内の僧侶や、献茶献花の家元などが参列し行われました。
今日は天気にも恵まれ、秋篠宮両殿下と、50年に一度の大法会をひと目見ようと、
伽藍は、多くの参拝者であふれていました。僧侶らのお練りのあと、
秋篠宮さまと紀子さまが、高野山開創1200年にあわせ再建した中門を通り金堂に到着されました。
お堂の前では、出迎えた稚児らに対し「ぶじおつとめを終えましたか?」と声をおかけになり稚児らは、
照れくさそうに答えていました。この後、法会が執り行われ
秋篠宮さまと紀子さまは、2日間にわたる和歌山での視察を終えられました。
http://www.tv-wakayama.co.jp/news/detail.php?id=34560


(和歌山)高野山開創1200年 結願法会
2015年5月22日03時00分
高野山(高野町)で4月2日から営まれていた高野山真言宗の「開創1200年記念大法会」は21日、
最終日を迎えた。澄み渡る快晴の空のもと、
僧侶らがきらびやかな袈裟(けさ)を着て壇上伽藍(がらん)を練り歩き、有終の美を飾った。
大法会最終日も、山内は大勢の参拝客で埋まった。
大法会を締めくくる「結願(けちがん)法会」は午前中に奥の院、午後に壇上伽藍金堂で営まれた。
金堂での法会には、秋篠宮ご夫妻が臨席した。
午後1時、高野山の法会の中で最も起源が古いとされる儀式「庭儀大曼荼羅供(ていぎだいまんだらく)」がスタート。
総本山金剛峯寺から金堂へ向かうお練りでは、ほら貝や笙(しょう)などを奏でる雅楽隊を先頭に、
茶華道の家元衆、稚児や僧侶ら計約250人が練り歩いた。
参拝客らは、手を合わせて見送ったり、写真を撮ったりしていた。
金堂内では、大法会が無事終わったことや開創1300年に向けた決意などを
空海に報告する結願文(けちがんもん)が読み上げられ、
節を付けて経を唱える「声明(しょうみょう)」に合わせて内陣を歩き回る「行道(ぎょうどう)」などが営まれた。
金堂の周囲では、参拝客らが堂内の様子を映したモニター画面に見入っていた。
終盤には、秋篠宮さまが結願文を読み上げた。空海の高野山を開いた功績や教育者としての側面をたたえ、
「著名な高僧の中でも人々に身近に感じられている稀有(けう)な人物」と述べた。
さらに「大師の願いが人々の心に息づいていることに敬意を表し、
教えが世界の平和と安寧に寄与することを願います」などと言葉を寄せた。
一連の法会を無事に終え、添田隆昭宗務総長は取材に対し、
「予想以上の方にお参りいただけ、宗団の底力が発揮された。
注目を浴びているこの機会を逃さず、高野山真言宗の教えを発信し、
1300年の時にも大勢集まるよう精進していきたい」と話した。
http://www.asahi.com/articles/ASH5P449GH5PPXLB00C.html




高野山といえば、悠仁親王殿下のお印でもある高野槙。
高野槙は高野山に多いことから名が付き、高野山を代表する高野六木の一つ。
昭和天皇や秩父宮殿下、高松宮殿下御手植えの高野槙もある。
悠仁親王殿下をご懐妊中、紀子妃殿下が前置胎盤と診断された時に
高野山金剛峯寺、比叡山延暦寺、全山あげて安産祈願をしたという報道もあった。
それだけにご縁も深いのだと思う。


秋篠宮両殿下はお寺や神社のご公務が多い。
今回のご公務での御写真でも光り輝いていた。

両陛下パラオご訪問

宮内庁HPより

平成27年4月8日(水)
パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h27e-palau.html#AIRPORT

本年は戦後70年に当たります。先の戦争では,太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ,
数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。
私どもはこの節目の年に当たり,戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ,パラオ共和国を訪問いたします。
パラオ共和国は,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と共に,第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが,
戦後,ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により,我が国の委任統治の下に置かれました。
そしてパラオには南洋庁が置かれ,我が国から多くの人々が移住し,
昭和10年頃には,島民の数より多い5万人を超える人々が,これらの島々に住むようになりました。
終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。
この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,
米軍は約1,700人の戦死者を出しています。
太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。
この度のパラオ共和国訪問が,両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の,
更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは,この機会に,
この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,
戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,
大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。
この訪問に際し,ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が
私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり,パラオ国大統領御夫妻と共に,
ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。
終わりに,この訪問の実現に向け,関係者の尽力を得たことに対し,深く感謝の意を表します。



2015.4.8 19:06更新
【陛下パラオご訪問】
「訪問実現に感謝」十年来の宿願かなえられるご覚悟
http://www.sankei.com/life/news/150408/lif1504080032-n1.html

戦後70年での戦没者慰霊のため、パラオ共和国を8日に訪問された天皇、皇后両陛下。
天皇陛下は出発前、「この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、
深く感謝の意を表します」と述べられた。
このお言葉には、厳しい条件を受け入れつつ十年来の宿願をかなえられることへの覚悟が込められている。
戦後50年の平成7年に長崎、広島、沖縄、東京・下町をめぐる「慰霊の旅」を果たした後、
陛下は側近に「今度は南洋に慰霊に行きたい」と相談された。
慰霊の旅を終えた感想の中でも「遠い異郷」との言葉で、海外での戦没者や遺族への強い思いを示された。
南洋の地として、日本の委任統治領だったパラオ、ミクロネシア連邦、
マーシャル諸島共和国の3カ国が検討されたが、移動手段の問題などで断念。
両陛下は平成17年6月、米自治領サイパン島で初めて海外での慰霊を果たされた。
ただ、宮内庁幹部は「サイパンで海外での慰霊を済まされたということはない。
両陛下のお気持ちに終点はない」という。別の側近も「パラオを含む南洋への慰霊のお気持ちは
この10年の間、弱まることがなかった」と打ち明ける。
1月にパラオご訪問が正式決定すると、防衛省や厚生労働省の担当者から
戦禍や遺骨収集の現状について改めて説明を受けられた。
出発前のお言葉では「美しい島々」と「悲しい歴史」を対比、戦争の悲惨さを忘れないよう訴えられた。
さらに、米国側の戦没者にも思いを寄せるとともに、パラオの人々が日本の遺族に代わり、
慰霊碑の清掃や遺骨収集に尽力してくれたことにも謝意を伝えられた。
移動の問題をクリアするため、異例の宿泊先として海上保安庁の巡視船を活用することも
「関係者の尽力」に含まれるだろう。
「一度口にされたことは、必ず実行される。パラオご訪問は、両陛下のお姿そのものだ」。側近の一人はこう強調した。


佳子さま ご入学

佳子さま、ICU入学「有意義に過ごしたい」
2015年04月02日 11時23分
 秋篠宮家の次女佳子さま(20)が2日、国際基督教大学(ICU、東京都三鷹市)の入学式に出席された。
 午前7時半頃、紺のスーツ姿の佳子さまは、桜満開のキャンパスに姿を現し、
報道陣に「新しい学生生活を始められることに感謝しつつ、有意義に過ごしていきたいと思います」と
笑顔で抱負を語られた。キャンパスの雰囲気を尋ねられると、
「緑が多くてとてもきれいなキャンパスだと思いました」と話された。
 宮内庁によると、入学式では「秋篠宮佳子」と呼ばれて「はい」と返事をされたという。
 佳子さまは、2013年に学習院大に内部進学したが、「別の環境で学びたい」と昨年8月に中退。
同10月、姉の眞子さま(23)と同じくICUのAO入試に合格された。
英語と幅広く教養科目が学べる点に魅力を感じられたという。
 中退後、佳子さまは宮中行事や障害者福祉などの公務に精力的に取り組んできたが、
今後は学業を優先し、公務は可能な範囲で続けられる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150402-OYT1T50095.html


佳子内親王殿下、おめでとうございます。

今日もよい笑顔で安心した。
12月に成年になって以降、注目度が高まり
また、一部の週刊誌(の見出し)は躍起になって貶めようとしているようで
気が休まらないのではないかと心配していた。
どうか、佳子さまが安心して学業に専念できますように。



両陛下、傘差さずに供花…宮城「千年希望の丘」

両陛下、傘差さずに供花…宮城「千年希望の丘」
2015年03月13日 19時41分
天皇、皇后両陛下は13日、第3回国連防災世界会議の出席と東日本大震災の復興状況視察のため、
空路で宮城県に入られた。
この日は、岩沼市の人工防潮丘「千年希望の丘」を訪問。
津波襲来時の避難場所として震災がれきを埋設して整備した丘で、
近くには同市の震災犠牲者155人の名前が刻まれた慰霊碑がある。
両陛下は冷たい雨が降る中、傘も差さずに慰霊碑の前に進み、白菊の花を供えられた。
さらにバスで周辺の整備状況を視察。天皇陛下は、丘の高さや機能を質問され、
皇后さまは、丘のあずま屋が非常時のテントになるとの説明に
「幕が張られると寒さがしのげますね」と安心したように話されたという。
その後、天皇陛下は仙台市のホテルで、同会議で来日したトルクメニスタンのベルドイムハメドフ大統領と会見された。
陛下が皇居の外で外国の元首と会見されるのは初めて。東京で日程の調整がつかなかったためだという。
2015年03月13日 19時41分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150313-OYT1T50092.html


みやぎ県政だより

今日は

昭和天皇の大喪の礼があった日。(平成元年)
あの時、今上陛下は55歳だった。
昨日、皇太子が55歳の誕生日だった。
あの中身の薄い、考えも浅い男が次の天皇陛下になったら、もう日本はだめかもしれない。
権力を持たない象徴という存在ではあるが、妻の機嫌をとり、ただニタニタとふんぞり返っているだけでは
とても務まらない。
長い皇統の中でも暗愚な天皇はこれまでにもいたが、
売国勢力の利用されそうな今の世では、あれでは危うすぎる。
平成の御代はまだまだ続いてほしい。
両陛下にはご心痛な思いをおかけすることになってしまうが、逆縁のほうが日本は救われる。
両陛下の皇子はもう御一方おられるし、さらにその次の世代の親王様もおられる。

祝成人

今日は成人の日。
新成人の方々、そのご家族の方々、おめでとうございます。

年末年始は帰省していたので
秋篠宮佳子内親王殿下のご成年をお迎えになるに当たっての記者会見は実家で見た。
だから、その日に書くことはできなかったけれど
よい記者会見だったと思う。
佳子さまは幼い頃は、恥ずかしがり屋さん?というイメージがあったので
会見ではきはきと、しかも報道へのお考えもきっぱりと話していて、頼もしい内親王殿下だと思った。
そして、良い意味での次女キャラだなあ(ちょっと不敬な言い方だけど)とも思った。
ご本人が仰っている通り、秋篠宮殿下に性格が似ているところもある。
眞子さまもしっかりとした内親王殿下だが、佳子さまも素晴らしい。
ローブデコルテ姿も素敵だった。


今回の会見で、学習院大学退学直後の、「ICUを受験する」という報道は宮内庁発ではないことも分かった。
ICU合格直後のご公務では屈託のない笑顔だった。
心の中では様々な思いもあっただろうに、そのようなことは微塵も感じさせなかった。
それはお母さまの秋篠宮妃殿下も同様だ。
佳子さまも会見で仰っていたけど、雑誌や特定集団のクチコミ戦術などのいろんな手口で
妃殿下を貶めようとしている勢力が未だにあるようだが
妃殿下の公務に対する姿勢を見ていれば悪意ある捏造された話だとすぐにわかる。
そんななかでもいつも笑顔を絶やさない。
公人としては、それが当たり前とはいえ、
一部の皇族の中には公務を選り好みした上に、注文をつけ、負担の無いような形にし
さらにそんな公務先でも不機嫌を露わにしたり、笑うべきではないところで哂うような人もいるので
佳子さまは、まだ若いのにご立派だなあと思う。
あの屈託のない笑顔が曇るようなことなどないようにと、願っている。

天皇誕生日

天皇陛下お誕生日おめでとうございます。
平成の御代が末永く続いていきますように。

秋篠宮文仁親王殿下お誕生日

2014.11.30 05:07更新
秋篠宮さま、きょう49歳のお誕生日 両陛下の戦争の話「大切な機会」
秋篠宮さまは30日、49歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち、東京・元赤坂の宮邸で秋篠宮妃紀子さまとともに記者会見に臨み、
来年が戦後70年となるのを踏まえ、戦没者慰霊を続けられる天皇、皇后両陛下について
「戦争の記憶を風化させることがないようにするという気持ちが非常に強い」との見方を示された。
両陛下から戦争の話を頻繁に聞いてきたものの、ご自身は戦争を体験していないため、
3人のお子さま方に「当時の様子というのを正確に伝えることには限界」があるとした上で、
「両陛下から子供たちへの話というのは非常に大切な機会」と強調された。
天皇のあり方については、天皇陛下が即位20年の会見で示された考えを前提に「象徴」について考えることとされた。
皇位継承順位3位で長男の悠仁さまにも「陛下が言われたこと」を伝えられるという。
12月で成年を迎える次女の佳子さまが学習院大を中退し、国際基督教大への進学を決めたのは、
環境の変化を求められた上での「自然な流れだった」とご説明。
性格が似る佳子さまとは激しい口論となることもあったが、
「的を射たことを指摘してくれていることが意外と多い」と成長を実感されているという。
近年、インターネット上で皇室のご活動やお写真がすぐに掲載されることについて、
「プライベートも何もない」としつつも、ネットが社会に普及していることから「致し方ない」との考えを示された。
http://www.sankei.com/life/news/141130/lif1411300013-n1.html


秋篠宮さま49歳、子どもたちの成長喜ばれる
2014年11月30日 05時00分
秋篠宮さまは30日、49歳の誕生日を迎え、これに先立ち紀子さま(48)とともに記者会見に臨まれた。
秋篠宮さまは、来年迎える戦後70年に関する質問に、天皇、皇后両陛下から
たびたび戦争の話を聞いた子ども時代を振り返り、
「戦争というものを二度と繰り返してはいけないと強く思った」と述べられた。
会見で秋篠宮さまは、長男の悠仁さま(8)、長女の眞子さま(23)、
次女の佳子さま(19)も両陛下から折々に戦争の話を聞いていると話し、
「私たちは戦争そのものを知らないので、子どもたちに当時の様子を正確に伝えることには限界があります。
その意味からも(戦争を体験された)両陛下からの話は非常に大切な機会」と語られた。
12月29日に20歳になる佳子さまについて、秋篠宮さまは
「私とちょっと性格も似ている。以前はかなり激しい口論になったのですけれど」
と笑顔を見せ、最近は「的を射た指摘が意外と多いことが分かり、意識に留めています」と成長を喜ばれた。
紀子さまは「成年皇族として一つ一つの務めを大切に果たしてほしい」と希望された。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20141129-OYT1T50105.html

会見全文
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/kaiken-h26.html

庭で楽しまれる秋篠宮さまとご一家=11月15日、東京・元赤坂の秋篠宮邸(宮内庁提供)
141130


秋篠宮殿下、お誕生日おめでとうございます。
会見文を読んだが、本当に思慮深く賢いお方だということがよく分かる。
この方が皇太子だったらどんなに良かったことか…
少し足りないお兄さんを支え、未来の天皇陛下を育て、ご本人も皇位継承順位第二位。
なにかと大変なお立場だと思うが、温かいご家庭で、それが支えになっているんだろうなということは、
一国民から見てもよく分かる。
ご一家のご健康と、ご多幸を心よりお祈り申し上げます。
平成の御代はまだまだ続いてほしいけど
文仁親王殿下の御代も、悠仁親王殿下の御代もすばらしい御代でありますように。
希望があれば、暗黒期もきっと乗り越えられる…気がする。
それにしても悠仁さまは畑を耕すところから、野菜作りをしているとのこと、なんと頼もしい。



秋篠宮家に何かと対抗心をもっているらしい皇太子の妻は
こんな、何気ないお言葉にもいちいちムカついているかもしれない。
>皇族ですから,外交に携わってはいけないわけです。
>割と息子は早起きをするのですけれども,朝早く起きて,別の部屋に行って本を読んでいたりとかすることもありますし,

悠仁親王殿下八歳

悠仁さま8歳 タケノコ掘りを体験、自然に親しまれ
2014.9.6 05:00
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁(ひさひと)さまは6日、8歳の誕生日を迎えられた。
お茶の水女子大学付属小学校の2年生になり、学習内容が増えて授業時間も長くなったものの、
元気に学習に取り組まれているという。
宮内庁によると、学校では、1年生の世話をして学校を案内し、一緒に遊んだりする機会があったほか、
放課後遊びにも参加し、大勢の友達と鬼ごっこなどをして遊ばれている。
 「総合的な学習の時間」では竹について学んでおり、千葉県内でタケノコ掘りを体験し、
小刀を使って竹の箸作りにも取り組まれた。学年行事の夏祭りでは、流しそうめんを自作の箸で召し上がったほか、
ペットボトルを使った工作を体験するお店を準備されたという。
今年の夏も東京都内や近県を訪ね、虫探しや山歩き、高山植物の観察など、自然に親しむ機会を多く持たれた。
宮邸の野菜畑では、自ら手入れをされたトマト、キュウリ、ナス、トウモロコシなどをご収穫。
「水まきは朝か夕方なんだ」と話しながら水やりをされたという。
1日からは2学期が始まり、元気に通学されている。

秋篠宮邸の庭で歓談される悠仁さま、眞子さま、佳子さま=8月7日、秋篠宮邸内(宮内庁提供)
悠仁さま八歳

秋篠宮邸の野菜畑へ向かわれる悠仁さま、眞子さま、佳子さま=8月7日、秋篠宮邸内(宮内庁提供)
悠仁さま八歳 2

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140906/imp14090605000001-n1.htm



悠仁さま:8歳の誕生日迎える
毎日新聞 2014年09月06日 05時00分(最終更新 09月06日 07時46分)
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁(ひさひと)さまが6日、8歳の誕生日を迎えた。
お茶の水女子大付属小(東京都文京区)2年の悠仁さまは、1年時より授業時間が長くなったが、
宮内庁によると、元気に学習に取り組み、放課後に大勢の友達と鬼ごっこなどをして遊ぶという。
赤坂御用地(港区)の宮邸にある野菜畑では、涼しい時に水やりをして、トマトやキュウリ、ナス、トウモロコシを収穫。
「黄色いトマトの方が、赤いトマトより甘い」「まだちょっと熟していない」などと話しながら栽培を楽しんでいる。
8月にはご一家で、戦争中に撃沈された学童疎開船「対馬丸」関連の催しに出席。
悠仁さまは対馬丸の生存者から話を聞くなど、平和の大切さを学んだ。【真鍋光之】

http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140906k0000m040144000c.html



悠仁親王殿下、お誕生日おめでとうございます。
宮内庁提供の動画をみたが、おかわいらしい。
未来の天皇陛下としての重責があるとは思うが
このまま伸び伸びとお健やかなご成長を願っている。






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